態度の選択について 箴言11:9

『9 神を敬わない者は、その口によって友を滅ぼし、正しい人は、知識によって助け出される。 箴言11:9 新改訳2017』

人間には、自由意志が与えられています。これほど尊重されているものはないと感じています。

人間は、自分の都合で、「天の介入があれば最強」という考え方もあります。

それに対して、創造主である神【主】のフトコロの深さは無限です。

【主】は、義を立て、完全な愛を用意した上で、忍耐を持って、ずっと待っておられます。

その態度は、「来るものを拒まず、去る者を追わず」と言うイメージです。

そこには、本当の「究極的な大丈夫」が用意されていますので、それを発見してたどり着く信仰者を待っているのです。

人間は、刹那の快楽を求める傾向が強いですから、自分自身に状況が変化する即効性があれば狂喜乱舞し、即効性を感じなければ意気消沈するような表面上の一喜一憂に振り回されています。

その一方、創造主である神【主】が備えている「永遠の幸福マインド」を共有して、生き続けられるかどうかという長いスパンでの大切なテーマなのです。

ですから、「自分が…自分が…」と「我田引水」に走れば走るほど、自分が優位にあると感じたいために、周囲を貶めてしまうことがあります。それが、「友を滅ぼし」と記されている部分です。

この世で生活していく上で、大切な要素は人間関係です。

聖書では、「自分を愛するように隣人を愛する」というように「隣人との関係」を大切にするように説かれています。

それには、「自分自身を健全に愛する」ことが、前提としてあるのです。

「友を滅ぼす」というのは、愛するとは方向性が真逆です。でも、それは、根本的に自分自身への愛情不足なのかも知れませんね。

自分自身との良好なバランスが保たれていたなら、周囲を必要以上に敵視する必要がなくなります。

隣人を助けようとする気になる前に、敵対しない心理が第一歩です。

共存共栄を目指すならば、順序も方法も違うと、この聖句は伝えています。

第一に【主】を敬うこと、そして、その知識によってこそ、助けになるのです。

まず、自分自身が、その知識によって助けを受け、それが周囲に広がっていくのですね。

定期的に、自分自身の状態を客観的に観察し、軌道修正が必要かどうかを見ていくことが肝要だと考えています。

「自分ファースト」は大切ですが、「自分だけ良ければ良い身勝手」からは脱却した方が良いですからね。

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Posted by dblacks