罪は積極的なもの キルケゴール「死に至る病(岩波書店)」

『罪は消極的なものではなく、積極的なものである。 キルケゴール「死に至る病(岩波書店)」』

「死に至る病」の著者であるキルケゴールは、「絶望とは死にいたる病」とも述べています。

このフレーズは、「罪」について、語っています。

このテーマは、なるべく避けたいと考える人が多いと思いますが、あえて死に至る最大要因としては、避けて通れない関門なのですね。

人間は、誘惑を受ける受け身を強調しますが、それは、外的要因に過ぎず、その誘惑に乗るか否かは、その人の内的な変化です。それが起きなければ、行動に出ることはないのです。

悲しいかな、人間が先祖から引き継いでいるDNAに組み込まれている「罪」の取り扱い方で、人生が大きく変わりますね。

「私の責任」という潔い人は、少数派ではないかと感じています。

「○○が…」という言い訳で、自分は首謀者ではないと言い逃れようと必死な記者会見などを見れば、主犯にされた人や周囲の人は、はらわたが煮えくり返ることでしょうね。

私は、この「罪」の解決策は、創造主である神【主】が示した「福音の三要素(別の項に説明あります)」を受け入れる他に方法が無いと考えています。しかし、それでも、人間の肉体には「罪」を犯す性質が残りますから、肉体的生命を離れるまでは、その誘惑からは逃れることはできないのです。

これを悲観する必要はありません。

やってしまったことを「悔い」そして「改め」れば良いのです。

ですから、失敗を恐れずにチャレンジできるのです。

人生の成功は、失敗の山の頂きにあるのかも知れませんね。

成功は、氷山の一角とも言えるのではないでしょうか?

悪事で成功を目論むのは、いかがなものですが、成功を目指すならば、あらゆる知識と知恵をフル活用してチャレンジをしたいですね。

自分の中に「ワル」がいることを認めて、その「ワル」が暴走しないように対策するのも大切でしょう。

でも、自分の中に「ワル」などいるはずがないと考えていると、いないはずの「ワル」に苦しむ結果になりかねません。

この点では、もう一人の自分との付き合い方の大切さがポイントになるのですね。

セーレン・オービュ・キェルケゴール(デンマーク語: Søren Aabye Kierkegaard デンマーク語発音: ˈsɶːɐn o:’by ˈkiɐ̯ɡəɡɒːˀ、1813年5月5日 – 1855年11月11日)は、デンマークの哲学者、思想家[1]。今日では一般に実存主義の創始者、ないしはその先駆けと評価されている。

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Posted by dblacks