自分の自由意志を尊重するマインドを育む 脱カルト 脱洗脳
自由になりたいと考えている人は多いと思います。
でも、「私は自由だ」と心から表現できる人はどれくらいいるのでしょうか?
私自身、あらゆるしがらみから自由でありたいと考えている一人です。
実際には、すべてから自由な訳ではありませんが…。
ただし、心がけていることは、自分の決断で行動するということを意識するようにしています。
もちろん、余り気が進まないことも、時にはありますが、それに取り組む時は、「自分でヤル」と決めてからはじめることにしています。
そうすると、人のせいにできませんから、頼まれたことであっても、自分のこととして主体的に取り組むことになります。
信仰でも、自分で情報を集めて、思考して選別し、信じるというステップを設けています。
それまで、信じてきたことと異なる価値観ならば、柔軟に修正をしていこうと考えています。
もちろん、信仰の核の部分は変わることがないのですが、枝葉の部分は、多様な価値感に触れて、より現実的な路線を選び取って行きたいと言うことです。
最近、多くのメディアでも取り上げられているカルト問題ですが、昨日今日始まったテーマではなく、人間の歴史の中で、くり返し出ていた事象なのでしょうね。
人は真理を求めますが、絶対的な正解にたどり着ける確率は低く、なおさら迷宮に入り込んでしまうこともあります。
その様な時に、次なる探検の旅に出ようと思ってみても、泥沼に足を取られていれば、身動きがとれません。
その泥沼が、カルトやセクト、あるいは洗脳の類いかも知れません。
酷い場合は、それが、ブラックホールのようなすべての財産を吸い取り、希望さえも吸い取るような仕掛けである可能性もあります。
まず、そこにハマらないような自己確立が大切です。
あくまでも、主体は自分です。その尊厳を神でさえ奪わないのです。もし、奪われたとすると拉致監禁の類いであり、犯罪です。
その犯罪行為に、距離を置き、絶対に加担しないように気を付けたいと考えています。
もう一つ、大切な事は、自分が自分にはめている「枠」や「囲い」についてです。「囚われ」とも言いますが、自分は、何に捕らわれやすいかという傾向を客観的に捉えられると、用心ができますね。
カルトなどは、良い装いをして浸透してきますから、特に注意が必要なのです。
エデンの園でエバを欺いたサタンも、エバにとっては魅力的な美しい姿だったのでしょうからね。
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