天からの宣言 後半 獣を拝む人々など ヨハネの黙示録14:9-20

2023-07-08

『9 また、彼らの後にもう一人、第三の御使いがやって来て、大声で言った。「もしだれかが獣とその像を拝み、自分の額か手に刻印を受けるなら、
10 その者は、神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた、神の憤りのぶどう酒を飲み、聖なる御使いたちと子羊の前で火と硫黄によって苦しめられる。
11 彼らの苦しみの煙は、世々限りなく立ち上る。獣とその像を拝む者たち、また、だれでも獣の名の刻印を受ける者には、昼も夜も安らぎがない。」
12 ここに、聖徒たち、すなわち神の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続ける者たちの忍耐が必要である。
13 また私は、天からの声がこう言うのを聞いた。「書き記せ、『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである』と。」御霊も言われる。「しかり。その人たちは、その労苦から解き放たれて安らぐことができる。彼らの行いが、彼らとともについて行くからである。」
14 また私は見た。すると見よ。白い雲が起こり、その雲の上に人の子のような方が座っておられた。その頭には金の冠、手には鋭い鎌があった。
15 すると、別の御使いが神殿から出て来て、雲の上に座っておられる方に大声で叫んだ。「あなたの鎌を送って、刈り取ってください。刈り入れの時が来ましたから。地の穀物は実っています。」
16 雲の上に座っておられる方が地上に鎌を投げると、地は刈り取られた。
17 それから、もう一人の御使いが天の神殿から出て来たが、彼もまた、鋭い鎌を持っていた。
18 すると、火をつかさどる権威を持つ別の御使いが祭壇から出て来て、鋭い鎌を持つ御使いに大声で呼びかけた。「あなたの鋭い鎌を送って、地のぶどうの房を刈り集めよ。ぶどうはすでに熟している。」
19 御使いは地上に鎌を投げて、地のぶどうを刈り集め、神の憤りの大きな踏み場に投げ入れた。
20 都の外にあるその踏み場でぶどうが踏まれた。すると、血がその踏み場から流れ出て、馬のくつわの高さに届くほどになり、千六百スタディオンに広がった。 ヨハネの黙示録14:9-20新改訳2017』

第四の宣言は、獣を拝む者たち(9~11 節)についてです。

第3の天使が、第四の宣言を発します。これは、獣の刻印を受ける者への裁きの宣言で、同時に、信仰者への励ましの宣言でもあります。

獣(反キリスト)の刻印(666)は、額か手かに押されます。これは、創造主である神【主】の刻印の真似です。でも、「獣を神として永遠に受け入れたというしるし」となります。

その時代には、獣の刻印がないと売り買いができなくなります。それは、命の危機をもイメージさせて、獣の刻印を受けるように迫ってくるのです。しかし、獣の刻印を身に受けると、もはや救われる可能性がなくなります。

大患難時代においても救われる人が出ますが、獣の刻印を受けると、救いの可能性が消滅し、回帰不能点を越えたことになります。

『8 その時になると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御口の息をもって殺し、来臨の輝きをもって滅ぼされます。9 不法の者は、サタンの働きによって到来し、あらゆる力、偽りのしるしと不思議、10 また、あらゆる悪の欺きをもって、滅びる者たちに臨みます。彼らが滅びるのは、自分を救う真理を愛をもって受け入れなかったからです。11 それで神は、惑わす力を送られ、彼らは偽りを信じるようになります。12 それは、真理を信じないで、不義を喜んでいたすべての者が、さばかれるようになるためです。 2テサロニケ2:8-12新改訳2017』

「不法の者」とは、反キリストで、彼の背後にはサタンがいるので、さまざまな奇跡を行うことができます。真理を拒む人たちは反キリストに欺かれる結果になります。そして、反キリストを受け入れる人たちは神の裁きに会うことになるのです。

「神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた、神の憤りのぶどう酒を飲み」とあるのは、「鉢の裁き」のことであり、獣の刻印を受け取った人たちに向けられたものです。

「混ぜ物なしに注がれた」とあるのは、「恵みや憐みの要素が全くない」、「永遠の苦しみ」を意味しています。

「聖なる御使いたちと子羊の前で火と硫黄によって苦しめられる。」 とあるのは、「燃える火の池」での苦しみです。自分たちが拒否した【主】の前での永遠に続く苦しみなのです。

「彼らの苦しみの煙は、世々限りなく立ち上る。」とあるようにこの苦しみは、永遠に続きます。彼らは、無知のゆえに苦しむのではなく、「福音のメッセージを2度にわたって拒否した。」ので、「獣の刻印を受けることを自ら選んだ」結果になるのです。

その2度の機会とは、「144,000 人の伝道」と「第2の宣言で、第1の天使が福音を伝えた(6~7 節)。」そのチャンスを逃したことになります。

第五の宣言は、「聖徒たち(12~13 節)」に向けられます。

獣の刻印を受けた人々への裁きの宣告は、聖徒たちには励ましとなります。「ここには、迫害の中でもキリストを信じ続けよというメッセージがあります。」それにより、殉教の死を遂げる者や、隠れ場に身を潜める者も出てきます。しかし、彼らの最後は、獣の刻印を受ける者の最後よりも素晴らしいのです。

信仰と行動が合致する必要があります。どの時代にも当てはまりますが、特に、大患難時代がそうです。信じているが、とりあえず獣の刻印は受けておくという両股の態度は【主】には受け入れられません。

13節で、ヨハネが聞いた天の声は、天使ではなくイエス・キリスト(第2位格)の声だと考えられます。伝達内容が重要な場合は、直接語られるのです。

『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである』また、聖霊なる神(第3位格)も、「しかり。その人たちは、その労苦から解き放たれて安らぐことができる。彼らの行いが、彼らとともについて行くからである。」と語られます。

これは、信仰者への二重の祝福の宣言です。その一つは、「殉教の死を遂げる者には祝福が約束されている。」こと、「彼らにとっては、殉教の死は迫害や苦難からの解放」であることです。

ここには、「永遠の休息」と「永遠の苦しみ」の明らかな対比があります。これは、死者一般への適用ではなく、大患難時代の殉教者への約束なのです。

第六の宣言は、「刈り取り(14-16 節)」についてです。

第六の宣言は、一般的な刈り取りで、信者の刈り取りと解釈します。「刈り取り」は、救いを表現する際に使用する言葉でもあります。

「白い雲が起こり、その雲の上に人の子のような方が座っておられた。」とあるのは、「白い雲」は、シャカイナグローリー(【主】栄光)を表し、「人の子(メシアの称号)のような方」とは、イエス・キリストです。

「手には鋭い鎌があった。」は、霊的収穫を集めるためです。もうひとりの天使が、イエス・キリストに「あなたの鎌を送って、刈り取ってください。刈り入れの時が来ましたから。地の穀物は実っています。」と懇願します。その願いに答えて、イエス・キリストが地にかまを入れ、地を刈り取ります。大患難時代の後半でも、救われる人が多く出ることを意味しています。

第七の宣言は、「神の激しい怒り(17~20 節)」についてです。

「もう一人の御使いが天の神殿から出て来たが、彼もまた、鋭い鎌を持っていた。」とありますが、これは、罪人たちの刈り取りを意味しています。「火をつかさどる権威を持つ別の御使いが祭壇から出て来て、鋭い鎌を持つ御使い」に刈り取りを懇願し、かまを持った天使は、それを実行します。

「地のぶどうを刈り集め、神の憤りの大きな踏み場に投げ入れた。」とあるのは、ぶどうが収穫された後、
酒ぶねに投げ入れ、酒ぶねを踏んで絞ることは、神の裁きの象徴です。

【主】の怒りの内容が、次に出て来る「鉢の裁き」に記されています。

「血がその踏み場から流れ出て、馬のくつわの高さに届くほどになり、千六百スタディオンに広がった。」とあるのは、ハルマゲドンの戦いの結果の描写です。

「都の外にあるその踏み場でぶどうが踏まれた。」とあるのは、エルサレムの外での裁きを意味しています。その場所は、オリーブ山と城壁の間にあるヨシャパテの谷(ケデロンの谷)です。

その渓谷に、ぶどう液ではなく、大量の人の血液が流れ、馬のくつわに届くほどになり、その流れて行く長さは、約300キロメートルにも及ぶのです。まさに「血の海」になるのです。

ハルマゲドンという言葉が、あちらこちらで聞かれますが、その舞台はイスラエルであり、時期は大患難期の後半に起こると預言されています。

歴史上、誰も見たことが無い光景が、そこに、繰り広げられることになるのですね。

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Posted by dblacks