神の線引きとは? ワーキーン・ミラー
『わるいやつだと非難する人にも、私はやはり多大のよさを見出し、神のようだと人が称える人にも、私は多大の罪と汚れを見出す。私は線を引きことをためらう。二者の間に、神は線を引かない。 ワーキーン・ミラー』
世の中、ワルい奴らが、結構いますよね。
「正体不明の主犯」という事件が頻発しています。
匿名性のように見えるインターネットの世界でも、かなりの追跡技術があるようです。
その様な話を聞くと、カギに似ているように感じます。カギは、絶対開かないモノではなく、時間をかければ、ほとんどのカギは開けられます。また、破壊するという奥の手もあります。
東日本大震災の時に、多くの金庫が津波にさらわれましたが、クレーンで吊り上げて落下させてその衝撃で破壊解錠をしている映像を見たことがあります。
衝撃的ですが、究極的には、中身を見なければ、行き場所を特定できないので、一つの選択肢として、採用されたのでしょうね。もちろん、その中身は、持ち主のところに返還されたそうです。
大量の金庫を前にすると、ついつい、色々なささやきが聞こえてくるかも知れませんね。
人間は、圧倒的多数が、正直に生きたいと考えていると思います。でも、人間には「善」も「悪」も宿っているのです。
一人一人の中に、「アンパンマン」も「バイキンマン」も同居しているイメージでしょうか?
アンパンマンの欠点は見えませんが、バイキンマンの悪いところが目立つように描写されています。しかし、憎めないバイキンマンの横顔も垣間見えるので、意外にバイキンマンのファンもいるのかも知れないと私は考えています。
冒頭のフレーズは、この両面を巧みに表現しています。
創造主である神【主】の視点に立てば、「二者の間に、神は線を引かない」ということになるのでしょうね。
それを主体に考えると、人間である私が、「良い人」と「悪い人」の線引きをするのはお門違いということになります。
ワーキーン・ミラーの「私は線を引きことをためらう」という選択が、無難なのでしょう。
これを考えると、人間本位で相手を見て、良い所を探して行くというおつき合いが大切で、悪いところ探しは、あまり建設的ではないように感じます。
それには、ニュートラルな付き合い方が大切なようです。
相手の気持ちを自分が受けとめられるか? また、その行動を許容できるかを、その局面に応じて判断していく落ち着いた大人のおつき合いですね。
何らかの犯罪行為に巻き込まれないためにも、適度な距離感を大切にして、お互いにより良い関係性を育んで行きたいものです。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません