対話によって得られるムフフなこと
会話には、いくつかのパターンがあると考えています。
一対一のケースは、「相手が話し私がひたすら聞く」「私が一方的に話し、相手がひたすら聞く」「双方が同じくらい話し、同じくらい聞く」というものです。
一方的にというのは関係性が危ういもので、聞く側には忍耐が必要になります。
対話というのは、言葉のやり取りだけではなくて、無言の意思表示も含めてのコミュニケーションだと私は考えています。
傾聴によって得られる情報もナカナカに価値がありますが、それには、忍耐と訓練が必要です。
会話の「双方が同じくらい」という加減が、程よいのでしょうね。
不思議な経験をした事があります。
私は、聞き役としてのポジション取りが多いのです。
忍耐強く耳を傾けていると、その人の近親者が聞いたことが無い話が溢れ出てくるのです。
それは、幼少期の誰にも言えない怖い体験だったり、心細かったことに関することが多いように感じます。
これは、利害関係抜きという要素の作用しているのだと推察しますが、それだけではなく、口をついて出てくるという自然な流れです。
同じような状況でも、その様にならないこともありますね。
何をどうすればその様な話が聞けるという鉄板ノウハウはありません。
言わば、問わず語りという範疇なのかも知れませんね。
その相手に選ばれたというのは、非常に光栄なことです。
これらは、対話を通じて得られる「ムフフ」なことの一部です。
時には、長時間話を聞かせていただくこともありますが、その時間は、相手との信頼関係構築の時間と心得ています。
相手の話を聞きながら、整理をし、要約して復唱し、ストーリーを確認していくのです。
その話の流れはナイル川のように、多くのことが満々とあり、その中には、かけがえのない話もあるのですね。
私には、人の心に眠っている宝物がとても魅力的に感じます。
それは、自分自身も家族も、近親者も気づかずに一生を終える可能性があります。
その宝物を対話によって、意識化し共有できることは、まさに「ムフフ」なことではないでしょうか。
おじいちゃんやおばあちゃんの経験を聞いておくのも、「ムフフ」なことに繋がると思いますので、ぜひオススメします。
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