時系列の整理 ヨハネの黙示録について

ヨハネの黙示録は、記者のヨハネが、流刑地パトモスで見せられた幻を見せられた順番に書き留めました。

預言が多く含まれるので、その解釈は、多くの考え方があります。

そもそも、字義的解釈と比喩表現などを的確に判断するのは難しいテーマでもあります。

そこで、ヘブル的解釈を用いて、解説しているアーノルド・フルクテンバウム師の解説(ディスペンセーション)をベースに、その内容を整理しながら、書き留めています。

聖書を通読することも大切ではありますが、その内容を時代的背景と文化的背景を理解するためにも、時間軸で整理する必要性もあると考えています。

この項では、ヨハネの黙示録について、時系列を整理してみます。

1章の序文に始まり、2章から3章は小アジヤ(現トルコ)に現存した7つの教会に向けてのイエス・キリストからの回覧書簡が記されています。これは、その時代の地方教会として評価されている内容でもありますが、その後の時代に登場するキリスト教界の姿を象徴しているダブルミーニングがあると言われています。2023年は、フィラデルフィア教会から、ラオデキア教会の狭間くらいの位置づけだとイメージしています。

4章では、携挙の後の天上での礼拝について記され、5章では、封印を解くにふさわしい子羊について記されています。地上での大患難期がはじまるお膳立てが整います。

6章から9章は、大患難時代の前半の3年半を扱っています。封印が解かれていく毎に起こる変化について記されています。この箇所は、17章で再記述され、その内容についての意味合いが明かされています。

10章から14章は、挿入箇所で物語の進展はないのですが、各項目についての解説や描写が展開されています。イスラエルとサタンとの関係の歴史と経緯についてなどが記されています。

15章から16章は大患難時代の後半の3年半を扱っています。今まで地上に起きた何よりも悲惨な災いが起きる内容は衝撃的です。多くの人が恐れているハルマゲドンの戦いがここで勃発します。この箇所は18章に再記述され、その内容についての意味合いが明かされています。

19章では、再臨について記されています。再臨されたメシアであるイエス・キリストが白馬にまたがり、ハルマゲドンの集結した王たちと軍勢と対峙します。そして、主の義が成就されるのです。

20章では、千年王国について記され、その結末と、最終的な審判についても記されています。

21章と22章は、新天新地について記されています。

このように、ヨハネの黙示録の記述は、幾重にもなされたり、似ている表現があったりして、混乱している箇所でもあります。

一度は、このような時系列で、通読されることをオススメいたします。

しかし、実際に起きることは、記されていることよりもインパクトが大きいと思われますので、「その場にいなくても済むような選択」を為されることをオススメいたします。

それは、「福音の三要素」を自分自身の自由意志で受け入れることが唯一の方法です。それは、創造主である神【主】が備えられた「愛と義」だからです。私のために、「主イエス・キリストは十字架に架かり死なれたこと、葬られたこと、三日目に復活されたこと」、この三要素を自分のために感謝して受け入れることで、永遠の扉が開きます。大患難時代の前に信じている人は、携挙され、大患難時代には入りません。

その後の時代は、生きるのも命がけ、信仰を持つのも命がけになるとヨハネの黙示録は警告しているのです。

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Posted by dblacks