孤独のおかげ 国木田独歩

『色々なことを考へて久しぶりで自己の存在を自覚したやうな気がする。これは全く孤独のお蔭だらうと思ふ。国木田独歩 『定本 国木田独歩全集 第四巻」 「都の友へ、B生より」(学習研究社)』

孤独を恐れる人は多いように感じます。

寂しがり屋の人は特にそうで、常に、誰かと連んでいたくなるようです。

でも、一人の時間は大切ですね。

私は、一人で居ることも好きです。

考えておく必要があるのは「孤立」です。

これは、孤立無援を想起させますから、その対策も必要ですね。

でも、孤独は、誰にも邪魔されない自分だけの空間です。

その空間に、インターネットなどがリンクしてきて、支配されようとしている時代ですね。

そうなると、ゲームや動画などの情報が、自分を占有していくような珍現象が起きるのです。

これを何とかしようと、デジタルデトックスなる取り組みもあります。

情報を活用するというスタンスから、情報にコントロールされるという立場に置かれると言うことは、大きな違いを生み出します。

自分の思考を働かせる事さえも、奪われる時代なのかも知れませんね。

世の中の流れを自分の五感で観察して、思考を働かせるためにも、孤独の時間を有効に活用したいと考えています。

このフレーズにある、「自己の存在を自覚した」という部分には、特に考えさせられます。

「自分とは何者なのか?」という問いかけを繰り返している人もいます。

「存在」とは「ある」ことで、何かを求められる事はないのです。

この「ある」ことを自分が自覚して、自己受容をしていることこそ、最も大切だと考えています。

これがあってこそ、「居る」「成る」という自分の土台が確立できるのですからね。

国木田 独歩(くにきだ どっぽ,1871年8月30日(明治4年7月15日) – 1908年(明治41年)6月23日)は、日本の小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。千葉県銚子生まれ、広島県広島市、山口県育ち。
幼名を亀吉、後に哲夫と改名した。筆名は独歩の他、孤島生、鏡面生、鉄斧生、九天生、田舎漢、独歩吟客、独歩生などがある。 田山花袋、柳田國男らと知り合い「独歩吟客」を発表。詩や小説を書き、次第に小説に専心した。「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯(じゃがいも)」といった浪漫的な作品の後、「春の鳥」「竹の木戸」などで自然主義文学の先駆とされる。また現在も続いている雑誌『婦人画報』の創刊者であり、編集者としての手腕も評価されている。夏目漱石は、その短編「巡査」を絶賛した他、芥川龍之介も国木田独歩の作品を高く評価していた。ロシア語などへの翻訳がある。

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Posted by dblacks