もう一人の自分もご機嫌でいるために
自分の本体の中にいても、意識はもう一人の自分との駆け引きだったりします。
自己一致と一口に言っても、自分の中には、一人だけではない存在があるものです。
なんだか調子が良いと感じて、有頂天に気分が良いこともあります。でも、何かのきっかけで、水を差されることもあるのではないでしょうか?
生きている中で、他者との関わりに大きな意識を向けて、時には、疲弊します。
それをシンプルに考えるためには、その他者が、もう一人の自分だという認識です。
つまり、自分に罪責感があると、他者から責められるという立ち位置に偏ってしまう傾向があります。
自分に優越感があると、上から目線で、相手を威圧してしまいかねません。
その関係性は、鏡を見る自分と、鏡に映る自分です。
ネコちゃんなどの動物は、鏡に映る自分に戦いを挑んだりします。人間は、それを見て笑いますが、意外にもそれと同じような事をしてしまっているように感じています。
他者の中に、もう一人の自分を見て、何かを感じて、それに反射したり、反応したりしているのです。
自己受容とか、自己一致などと言っても、人間は、その状態にある時と、そうではない状態があるのです。
完璧に見える人間でも、それは、外見だけであって、内面には様々な葛藤があるモノです。
まず、基本的なスタンスの確認をすることが大切です。
自分ともう一人の自分は、同じ目線であること、そして、対等であることですね。
さらに、もう一人の自分の発想を否定しないことです。客観的に、冷静に受けとめることが肝要だと考えています。
その関係性のポジションが見出せると、もう一人の自分との付き合い方がラクになります。
そして、その関係性を応用すれば、他者との関係も、今までとは違ったものになるのです。
自己確立は、自分の機嫌をよくし、自己一致は、もう一人の自分もご機嫌にするというイメージですね。
家庭の中で、太陽とされる「母親」が、ご機嫌でいると、家族は安心して過ごせるという話があります。
それは、うわべのことだけではなくて、存在の中心からご機嫌で居られたら、最高なのですね。
母親だけではなくて、自分の存在がご機嫌で居ると言うことが、一番大切だと考えています。
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