化粧の動機の考察 寺田寅彦
『ちょっと考えると「美しく見せよう」という動機から化粧が起こったかと思われるが実はそうでないらしい。むしろ天然自然の肉体そのままの姿を人に見せてはいけない、そうすると何かしら不都合なことが起こるという考えがその根底にあるのではないかと疑われる。寺田寅彦』
メイクアップはマナーだと教育されることもある時代です。
感染症騒動もあり、マスク全盛の時代、脱マスクに向けて、化粧品業界が盛り上がりを見せているようです。
その様な時に、ふと目にとまったのが、冒頭のフレーズです。
化粧をする目的は? という問いかけですね。
これは、表面上の装いだけではなく、心のあり方のテーマのように感じます。
聖書の中には、創世記にエデンの園の記述があります。
アダムとエバが、善悪を知るの樹の実を食べて、自分が裸であることに気づくというシーンです。
その後の行動が、裸を恥じるようになったという心情を表現しています。
それまでは、裸であっても気にしなかったのです。このビフォーとアフターが鮮明に違いますね。
創造主である神【主】が動物を犠牲にし、ここから死が始まり、そして、衣服の文化がはじまった分岐点になりました。
所謂、プライベートは、裸のスッポンポンでも許される範囲です。公に同様な振る舞いをするのなら、公然わいせつと見なされます。
また、スッピンの方がラクなので、出かけない日は、メイクをしないという話も聞きます。
マスクがどこまで身を守ってくれるのか、懐疑的な論争もあります。
でも、メイクアップは、自己防衛の一つなのかも知れませんね。
見せたい自分を見せるためなのか、見せたくない自分を隠すためなのかは分かりません。
それは、心も同じなのではないかと私は考えています。
決して、弱音を吐いてはいけないという根性論が根強いのも、その一端かも知れません。
人間と言っても、動物同士ですから、本能からくる防衛を無意識に大切にしているのでしょうか。
表裏がない明け透けな人は、人に警戒心を持たれない傾向を感じます。
敬遠する人は居るかも知れません。
警戒心が強い人でも、ある瞬間に、本音がポロリと出ることがあります。
それが、その人を垣間見る時ですよね。
人間は、本音を見せないミステリアス戦略が良いのか? 本音を隠さないオープン戦略が良いのか?
そこが、思案のしどころですね。
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