ボランティア動員の難しさ
仕事仕事と言いながらも、結構、売上に直結しない業務もあります。
また、家事や家の周りの作業は無償であり、時には持ち出しです。
町内の清掃活動やゴミ見張り当番など、誰かが自発的にしてくれているので、きれいな町内を維持できるということがあります。
でも、これが結構ミスマッチなのです。
最近は、何かと忙しい人が多く、日時が合わなければ参加してもらえません。
作業内容が、汚れたり、力仕事であったりすると、参加候補者も格段に少なくなります。
あとは天候です。この感覚は、人によって、スゴく開きがあります。小雨でも、雨は雨なので、作業中止という感覚の人が多いと思うのです。でも、ある程度、雨粒が大きくても、まだできるという人もいます。
このような意識の差も、参加者を減らす要因になります。
最低限の人数を確保できる態勢が望ましいのですが、生活にユトリがあり、体力もあるような状態で、利他的な意欲もあるような人自体が、ナカナカ見当たらないのです。
これは、発掘の仕方に工夫がいるのかも知れませんね。
こんなユトリのない日本に誰がしたのかという、ぼやきもしたくなります。
それでも、今からできることを考えながら、共有していけるように、工夫が必要なのですね。
作業内容の提示、作業時間などの明示なども大切ですが、その前に、その作業からどのような充実感が得られるのか?を共有できる感覚が大切なのでしょうね。
「夢」とか「希望」などという何かを共有できれば、発展性を感じられますね。
でも、現実をすすめているのは、「誰かがやらなければ」という義務感や使命感だったりします。
使命感に、希望の要素をプラスした要素を提示することも課題です。
取り組むことへの心のハードルを最大限下げることが、参加者を増やしていける方向性とすれば、主催者の努力の余地が、まだまだあるということでしょうね。
心理学的な報酬が良い形で共有できるようにすることも課題です。
義務感を強く持つ人が、一人相撲をするところからの脱却を目指したいですね。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません