救われたという実感が伴う生活へ 箴言2:12
『2:12 それらはあなたを悪の道から、ねじれごとを語る者たちから救い出す。 箴言2:12新改訳2017』
「ねじれごとを語る者」とは、誰のことでしょうか?
人間は、ほとんど自分の事は棚に上げて、自分以外の誰かとイメージします。
これも、自己防衛本能の一面なのですが、身近な所から検証していく必要があるようです。
ケーキを何等分にするか?という時に、キッチリ測ったつもりでも、等分には切り分けるのは至難の業です。
ナイフの先が、自分の心と直結しているかのようです。
これは、大家族で生活したことがある人には、共感してもらえるかも知れません。
どれだけ、上手く切り分けたと思っても、誰かが何かをクレームつけるケースがあるのです。
それが、食べ物ですから、その恨みたるや、なかなかなものです。
そのようなこともあり、自分の分を小さめにするという気持ちを持つようになりました。これもまた、自己防衛本能の反映です。
でも、そのように、未然にトラブルを回避しているつもりでも、無意識にしていることもあります。
それは、値踏みです。
その中には、「自分だけは特別」という思いが入るのです。
人間は、自分の願望や欲望を隠すことなく語ります。
その内容は、自分は絶対的に正しく、周りは絶対に間違っているという偏った内容の可能性が高いのです。
もし、自分の行動にその様な傾向が思い当たれば、「悪の道」から引き返すチャンスだとも、この箴言は伝えているのです。
世の中は、ポジショントークの渦巻いている所です。
それらの多くは、我田引水を目指す傾向が高く、利他の精神の欠けらも感じません。
でも、その方向から、勇気を出して転身するときに、利の善循環がはじまる素地が生まれるのです。
世の中に何らかの貢献をしても、かえって、誹謗中傷を受けたりする事もあります。おそらく、嫉妬?なのかも知れませんが、忍耐のしどころですね。「足を引っぱられると足が伸びる」などと、こじつけられるくらいの精神力が必要でしょうか?
勇気を出して転身をして、負のループから抜け出ると、また、付き合い方も変わります。
救われたというポジティブな気持ちで、心機一転、その実感をもって歩みたいと考えています。
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