全体か一部か? コナン・ドイル
『人生は大きな鎖のようなものであるから、その本質を知ろうとするには、鎖の一部分さえ知ればいいのである。 コナン・ドイル「新色の研究」(新潮社)』
『シャーロック・ホームズ』シリーズの著者として有名なコナン・ドイルのフレーズです。
物事の見方や見え方に関する示唆です。
推理小説などの場合、あちらこちらに、ひねりが入るので、その想像力も含めて、難易度の高い表現力が必要なのだろうと思います。
登場人物の誰かが明らかなウソをついているというケースもあります。
また、ウソをつかなくても、事実の一面だけを語るケースもあります。
話は少しそれますが、最近のドラマの再現シーンは、リアルな描写なのですが、事実とは異なる演技を挿入するので、ドラマのスジの理解に混乱を与えているのではないかと、画面に向かって、勝手にツッコミを入れています。
さて、話を戻すと、このフレーズのキモは、連続性のあるケースだと想像しています。
鎖をつくる機械の動画を見たことがあります。
それは、延々と同じくり返しです。人間ならば、バラツキもイラつきも出そうですが、そこは、淡々と作業が進むのが、機械のスゴいところです。
その工程を見る限り、一節か二節の鎖をみれば、どのような素材で、どれくらいの強度があるのかを知ることができます。
ただ、規則性のない繋がりのケースでは、その様には理解できない可能性を感じます。
色々なものを継ぎ合わせたものが人生だとすれば、様々なパターン分けを知る必要がありますし、その観察も必要になりますね。
何れにしても、人生が鎖であることは、その連続性からも受け入れやすいです。
モノゴトには、多面性があります。その理解に、大きな動物のゾウが引き合いに出されることがあります。
それは、鼻が長いとか、牙があるとか、耳が大きいとか、そのパーツだけで目を奪われる迫力があるので、断片的な表現になりやすいという教訓からのようです。
一部分の観察や理解も大切ですが、全体を観察することも必要なのだと考えています。
アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル[1][注釈 1](英語: Sir Arthur Ignatius Conan Doyle, KStJ, DL, [ˈɑːrθər ɪgˈneɪʃ(i)əs ˈkoʊnən / ˈkɑnən ˈdɔɪl][9] 発音例1 発音例2, 1859年5月22日 – 1930年7月7日)は、イギリスの作家、医師、政治活動家。
推理小説・歴史小説・SF小説などを多数著した。とりわけ『シャーロック・ホームズ』シリーズの著者として知られる[10]。SF分野では『失われた世界』『毒ガス帯』などチャレンジャー教授が活躍する作品群を、また歴史小説でも『ホワイト・カンパニー(英語版)』やジェラール准将(英語版)シリーズなどを著している。
1902年にナイトに叙せられ、「サー」の称号を得た[注釈 2]
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