記憶力があっても 中島敦
『記憶力しか有っていない人間は、足し算しか出来ない人間と同じだ。 中島敦「中島敦全集(第2卷)』(筑摩書房)』
私は、物忘れを自覚するようになり、記憶力が良い人を羨ましく感じています。
でも、記憶力も良すぎると困ることもあるのだそうです。
つまり、忘れることができないので、過去の記憶に縛られ続けるのだそうです。
過去への執着が強すぎる要素を感じたなら、それは、記憶力が良すぎるのが原因かも知れません。
算数で習うのは、まず、足し算からですね。
その次に、引き算、かけ算、割り算などです。
そのプロセスで、世の中には、割り切れないこともあることを学んでいくのだというコトを私は大人になってから感じました。
分数のまま置いておくほうが、美しいと感じられるようになりました。
しかし、どの様な基準にしろ、白黒をハッキリつけなくてはいけない場所があります。
養育環境で、歪みがあっても、そこでのものさしが適用されます。
でも、世の中に広げて考えると、白にも黒にも認定されない灰色という領域があるのです。
最近は、灰色と言い張ることで、黒認定を免れるという姑息に見える人たちも増えているようには感じます。その様な振る舞いをしても、生き延びられなくなるのではないでしょうか?
人間は、常に偏りがあると考えた方が良いので、あらゆる価値観を動員して調整していく必要があるのですね。
このフレーズを紡ぎ出した中島敦氏は、病弱ながら、繊細な感覚と芸術性の高い表現を評価されているようです。
その一片のフレーズとご縁があったのは、本当に不思議なコトですね。
中島 敦(なかじま あつし、1909年〈明治42年〉5月5日 – 1942年〈昭和17年〉12月4日)は、日本の小説家。代表作は『山月記』『光と風と夢』『弟子』『李陵』など[1][2][3][4]。第一高等学校、東京帝国大学を卒業後、横浜高等女学校の教員勤務のかたわら小説執筆を続け、パラオ南洋庁の官吏(教科書編修書記)を経て専業作家になるも、同年中に持病の喘息悪化のため33歳で病没[5][6]。死後に出版された全集は毎日出版文化賞を受賞した[6][7]。
その短い生涯に残した著作は、中国古典の歴史世界を題材にした作品や、南島から材を得た作品、古代伝説の体裁をとった奇譚・寓意物、自身の身辺を題材にした私小説的なものなど、未完作も含めわずか20篇たらずであったが[1][8][9][10][11]、漢文調に基づいた硬質な文章の中に美しく響く叙情詩的な一節が印象的で、冷厳な自己解析や存在の哲学的な懐疑に裏打ちされた芸術性の高い作品として評価されている[1][2][3]。
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