知恵の叫び声 箴言8:1-3

『8:1 知恵は呼びかけないだろうか。英知はその声をあげないだろうか。
8:2 知恵は、道の傍らにある丘の上、通りの四つ角に立ち、
8:3 町の入り口にある門のそば、正門の入り口で高らかに言う。箴言8:1-3新改訳2017』

いつの時代も、魔法の杖を探し求めている人がいるようです。

正解があるようで、その実、正解がない世の中です。

今の判断の答え合わせは、もう少し進んでみてからしか、わからないのです。

「英知」を結集してなどと言いますが、その意味は、「1 すぐれた知恵。深く物事の道理に通じる才知。2 哲学で、物事の真実在の理性的、悟性的認識。また、それを獲得しうる力。ソフィア。」とデジタル大辞泉には記されています。

それは、知識という情報の塊ではなく、それを活用した何かというイメージですね。

「知恵」とは、「1 物事の道理を判断し処理していく心の働き。物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力。」(デジタル大辞泉)と説明されます。

つまり、情報が整理されて、優先順位が示されているという状態です。

冒頭の箴言では、「そこここで、それがある」と記しています。

それを察知する能力が欲しいですね。

あらゆる分野で活躍するアイデア豊富な方に話を聞くと、アイデアは見回せば、あちらこちらにあると言います。

センサーの差があり、それを応用する能力も大切という事でしょうか?

これは、箴言ですから、信仰的に考えていく必要がありますね。

『2:26 なぜなら神は、ご自分が良しとする人には知恵と知識と喜びを与え、罪人には、神が良しとする人に渡すために、集めて蓄える仕事を与えられるからだ。これもまた空しく、風を追うようなものだ。伝2:26新改訳2017』

ソロモンが記している伝道者の書にある一節です。

「神は、ご自分が良しとする人には知恵と知識と喜びを与え」とあるのは、信仰者にとっての希望です。

「どうか、知恵を感じ取れるセンサーを敏感にしてください。そして、知恵を適切に用いることができるように助けてください。」との祈りをもって、歩みたいと考えています。

それは、「自分が映える」ために用いるのではなく、究極的には、「創造主である神【主】の栄光のため」という意識を保ちたいですね。

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Posted by dblacks