叱責と繁栄の関係 箴言15:10
『15:10 道を捨てる者には厳しい懲らしめがあり、叱責を憎む者は死に至る。箴言15:10新改訳2017』
良い保護者に養育された人は本当に幸せです。
そうは言っても、親も子も人間ですから不完全です。
どちらかが感情的になれば、火に油を注ぐことも多くあります。
大切なのは、「快か不快か」から「善と悪の判断」、そして、「配慮」へと成長を促されるかという難題です。
小さい頃は、「気持ちよい」か「イヤか」の間を行き来しています。
ある程度、成長すると、目の前のことが「善いこと」か「悪いこと」かの判断を促されます。
さらによいのは、適度に「褒められる」という経験です。
「ダメだし」しかしないのは、受け手にとって辛い一面です。
それは、子どもでも、大人でも共通する要素でしょう。
さて、この箴言には、「叱責」と「結果」について記されています。
何に対しての「叱責」なのかを探る必要がありますね。
例えば、山で遭難するケースなどが想定できます。
つまり、「気象状況が悪化するので、これ以上の移動はいのちの危険が伴う」と叱責されたのに、自分の欲が先に出てしまえば、いのちを落とすことになる可能性もあるわけです。
叱責されることは、愛情があるからこそです。
しかし、それを無下にする何かの理由が、その人の中にはあるのでしょうね。
現代社会の歪みは大きく、叱責とは異質のDV的なアプローチもありますから、見極めも大切ですね。
聖書の中には、先人が残した失敗の足跡が記されています。
それらを見ながら、自分への叱責へと置き換えてみる方法もあります。
王の失敗や、預言者の失敗などもあります。
また、お金持ちへの【主】からの警告などもあります。
さらには、放蕩息子と言われる冒険者も記されています。
それらを誰の視点で受けとめていくのかによって、叱責の内容は変わります。
それらを自分の経験値として、整理整頓して積み上げていくことによって、自分自身のレベルアップに繋げられるのですね。
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