コイノニア 交わりについて 使徒の働き2:42
『2:42 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。 使徒の働き2:42新改訳2017』
クリスチャン用語として、「愛餐会(あいさんかい)」というものがあります。その由来が、この聖句にあるというお話しです。
聖霊降臨の後、初代教会が誕生し、その中で、どのような交わりが持たれていったかという歴史が、使徒の働きに記されています。
この交わりは、ギリシャ語で「コイノニア」と記されています。また、そこに集う人々を「エクレシア(この世から呼び出された人の集い)」と表現しています。
今日でも、洗礼を受けた人たちで、「聖餐式」を行います。これは、パンは裂かれたイエスの体、ぶどう液は流されたイエスの血に見立てて、それを記念し、救いの恵みを定期的に思い出すという目的で行われます。
その当時も、それは、行われていたようですが、それに加えて、持ち寄りの食事もなされていたようです。
計算上は、自分の食べる量を持参すれば、全体的に余ることなく、分け合うことができます。しかし、実際には、とても多く持ってくる人や高級な食材が供されることもあります。有難い話ですが、どのように分けるかという課題もクリアする必要ができてきます。
そのような事が、当時も起きていたようです。
いつの時代にも、貧富の差があり、その感覚の差が、交わりの場面でも現れてくるのです。
その光景を見て、イメージすることは、人数分の反応があるでしょう。
それは、ポジティブなものだけではなく、ネガティブなものもあるはずです。それらが、新たな軋轢の火種になったようです。
人が集まるところには、価値観のぶつかり合いがあるのですね。
また、生活習慣も影響があります。
当時は、モーセ律法の習慣が支配的でした。初代教会に集う人にも、「律法ユダヤ教」と「信仰と恵みによる救い」の区別がついていなかったのです。
創造主である神【主】に対する畏怖の念をベースにした信仰を共有できる雰囲気が、いつの時代にも大切なのです。
また、自分と【主】のタテの関係と、自分を健全に愛するように隣人を愛する事が基本です。
自己確立と隣人への適切な配慮が求められているのですね。
人間のコミュニケーションは、時代を越えての課題です。
信仰者の関わりでも、社会的な関わりでも、良好な関係を探っていきたいと考えています。
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