順応性について トルストイ
『人間が馴れることのできぬ環境というのはない。ことに周囲の者がみな自分と同じように暮らしているのがわかっている場合はなおさらである。 トルストイ『アンナ・カレーニナ』(新潮社)』
環境適応力とでも言うのでしょうか?
この地上に、人間が置かれたのが、約6000年前としているのが、聖書的時間軸です。
最初の人間が置かれたのが、植物の園エデンです。そこに、アダムとエバが置かれ、そこから、今の人類に繋がっているのです。
植物の園エデンは、理想的な住環境だったようです。人間だけではなく、動物、生物も含めて極めて健全だったのです。
それから、失楽園があり、ノアの時代に大洪水などもあったと記されています。
アブラハムがイスラエルの祖として召命されて、歩き回ったところは、植物の園エデンの面影が一切無い乾燥地帯でした。
地球上を砂漠や水が移動しているようで、巡り巡っているくり返しのように感じます。
地球の赤道を挟む地帯(北回帰線と南回帰線)は、コーヒーベルトと言われ、コーヒー栽培の適地と言われましたが、それも、今は違ってきているようです。
長い歴史からすれば、そのような変化など、あって当然なのでしょうか?
そのような環境変化の中を人間は生き抜いて、いのちが繋がっています。
そもそも、失楽園したのは、人間の欲にまみれた罪が原因です。
それがなければ、今日の試練困難も回避できていたことでしょうね。
でも、人間の先祖が選択した結果です。それを非難しても、状況が変わるわけではありません。
「今ココ」に注目したいと思います。
紆余曲折あっても、人間は「今ココ」に生かされています。
それは、環境に順応する能力がある程度、備わっていたことの証明でもあります。
「大変だ」と口にしながらでも、目の前の状況を克服していける強さを持ち合わせているのです。
いのちの危機を感じるコトにも、少なからず遭遇する時代を感じますが、絶滅する確率は低いのではないでしょうか?
人間が、創造主である神【主】の御前で報償を受けるその日までは。
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