金銀はない!! でも… 使徒の働き3:1-11

『3:1 ペテロとヨハネは、午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。
3:2 すると、生まれつき足の不自由な人が運ばれて来た。この人は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」と呼ばれる宮の門に置いてもらっていた。
3:3 彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。
3:4 ペテロは、ヨハネとともにその人を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。
3:5 彼は何かもらえると期待して、二人に目を注いだ。
3:6 すると、ペテロは言った。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
3:7 そして彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、
3:8 躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩いたり飛び跳ねたりしながら、神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った。
3:9 人々はみな、彼が歩きながら神を賛美しているのを見た。
3:10 そしてそれが、宮の美しの門のところで施しを求めて座っていた人だと分かると、彼の身に起こったことに、ものも言えないほど驚いた。
3:11 この人がペテロとヨハネにつきまとっているうちに、非常に驚いた人々がみな、「ソロモンの回廊」と呼ばれる場所にいた彼らのところに、一斉に駆け寄って来た。 使徒の働き3:1-11新改訳2017』

「生まれつき足の不自由な人」という表現をどのように捉えますか?

自分だけでは、移動できない状態で、お金を稼ぐ手段がなく、他人の力を借りて移動させてもらい、「物乞い」をするしかないという事だったようです。

この「美しの門」とは、ソロモン神殿の第二の門だったのではないかと言われています。

そこは、言わば一等地で、人通りが一番多いく、施しを受けるには最高の場所と考えられます。

彼が期待していたのは施しです。

ペテロとヨハネが目の前に立った時に、「何かもらえると期待」したと記されています。

その次に、聞こえてきた言葉は、彼の期待を粉砕するほどのインパクトをもたらしたでしょう。

それは、「金銀は私にはない。」でした。お笑いコントならば、周囲の全員がズッコケるところでしょうけれど、唖然としたというイメージでしょうか。

「しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」と続いた言葉に、二度目のビックリをした事でしょう。

このようなとき、どの様な気持ちが沸き上がるでしょうか?

一つは「疑念」、もう一つは「期待と大きな不安」でしょう。「疑念」とは、生まれてこの方自分の足で歩いたことが無いのに、そんなことあるはずがないという気持ちです。「期待と大きな不安」とは、歩けるようになるのなら、それは、それでうれしいけれど、今の生活を捨てることになるという気持ちです。

しかし、そんな気持ちをよそに現実は、「そして彼の右手を取って立たせた。」と、今までにない大きな変化が彼に迫ってきたのです。

「するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、躍り上がって立ち、歩き出した。」と彼の状態に大きな変化が起きたのです。

彼は、「歩いたり飛び跳ねたりしながら、神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った。」と、自分の意志で、創造主である神【主】を讃美したのです。

彼は、超がつくほどの有名人だったようです。施しをしなくても、多くの人は、彼の前を通っていたのです。

「人々はみな、彼が歩きながら神を賛美しているのを見た。そしてそれが、宮の美しの門のところで施しを求めて座っていた人だと分かると、彼の身に起こったことに、ものも言えないほど驚いた。」

神殿にいる人々が驚愕した大事件が起きたのです。

「生まれつき足の不自由な人」と記されている彼が、自在に歩けるように癒やされ、創造主である神【主】を讃美するという証人に変えられたのです。

その時に、そのところにいた人々は、「一斉に駆け寄って」来たのです。

「ナザレのイエス・キリストの名によって」起きたキセキです。

この次に続くペテロのメッセージに多くの人が耳を傾けるきっかけになったのです。

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Posted by dblacks