イエスを信じる信仰への移行期 ヘブル13:11-13

『13:11 動物の血は、罪のきよめのささげ物として、大祭司によって聖所の中に持って行かれますが、からだは宿営の外で焼かれるのです。
13:12 それでイエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。
13:13 ですから私たちは、イエスの辱めを身に負い、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。 ヘブル13:11-13新改訳2017』

今の時代でも変わることが無い現実があります。

それは、人間は有限だという事です。つまり、寿命の中に生かされていると言うこと、その能力は限られているのが現実です。

そもそも、人間が創造主である神【主】を認めにくいのは、有限である人間のフレームでしか、永遠の存在である【主】を見ることができないからでは無いでしょうか?

聖書は、旧約聖書三十九巻と新約聖書二十七巻、合わせて六十六巻を正典としています。

そのどこを、どのように受け取るかによって、信仰に差が生じているのです。

先月あたりから、使徒の働き3章の生まれつき足が萎えた青年が癒やされた所から、ペテロのメッセージにフォーカスを当てています。

その時のユダヤ人の状況に触れておきたいのです。

ユダヤ人たちは、神殿で祈りの時を持ち、自分が選んだラビ(霊的指導者)からレクチャーを受けていました。イエス・キリストの復活と昇天の後、時代は、【主】の視点では、新約時代になっていました。

しかし、宗教的権威のパリサイ派、政治的権威のサドカイ派など主流に加え、多くのユダヤ教流派があったと想像されます。その中に、突如、登場したのがナザレのイエスを信じる「ナザレ派」の存在です。そもそも、そのカテゴリーさえ知らない人が多かったのかも知れません。

ただ、罪人だった「バラバというイエス」は釈放され、義人で完全無罪だった「ナザレのイエス」が代わりに十字架刑にされたと言う事実がありました。

それに向けて煽動した人や煽られてその群衆に加わった人がいました。

その背後にいた悪魔(サタン)の感化をほとんど意識せずに、ナザレのイエスを抹殺しようという動きに加担していたのです。

その後に、葬られ、三日目に復活し、弟子たちに現れ、オリーブ山から昇天されたことは、多くの目撃者があり、エルサレムにいた人たちの大きな話題だったことでしょう。

でも、それが、自分たちにどのような変化をもたらしたかについては、ほとんどの人が理解できていませんでした。

使徒の働きのペテロの聖霊に満たされたメッセージを語っています。これは、後に記されたヘブルにも記されているので、それを引用しました。

旧約時代の「罪のきよめのささげ物」と、新約時代の「ご自分の血によって民を聖なるものとするため」という説明が記されています。

それこそ、唯一の「民の罪を取り除く神の子羊」としてのイエス・キリストの御業を記し、時代が変化していることを伝えているのです。

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Posted by dblacks