祈りに対する応答について マルコ14:35-36 ピリピ4:6-7
『14:35 それからイエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、できることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈られた。
14:36 そしてこう言われた。「アバ、父よ、あなたは何でもおできになります。どうか、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように。」 マルコ14:35-36新改訳2017』
まず、ゲッセマネの園で、御子イエス(第二位格)が、御父【主】(第一位格)に祈った内容です。これは、「この杯をわたしから取り去ってください。」とご自身の願いをしてから、「かし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますよう」と、【主】の御心が成るような内容になっています。
クリスチャンに対する祈りのススメは、「全能の【主】に、願い事を言えば、何でも答えられるよ」というニュアンスを感じるコトがあります。しかし、これは、現実的ではありません。
全能の【主】がなされるのは、「御心の時に、御心の内容が、成就する」というのが本則です。
それを、御子イエス(第二位格)の祈りから見ることができます。
人間のイメージするスケールと全宇宙の創造主である神【主】のスケールは差があって当然とも言えます。
器の大きさを考えると、人間の願望は、利己的な要素が多いのも現実です。下手をすると「全宇宙に満ちる【主】を狭い自分のイメージの中に収めてしまう」事になりかねません。この検証は自分自身に対して行う必要性を感じています。
『4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
4:7 そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。 ピリピ4:6-7新改訳2017』
ピリピ書で記されている聖句には、「何も思い煩わない」ことからはじまります。
まず、「感謝をもって」ささげること、「祈りと願い」をし、「願い事を神に知って」もらうことをすすめられています。
そうすると、「すべての理解を超えた神の平安」による取扱いを受けるのです。
それによって、「心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれ」ると記されています。
祈りとは、「【主】に感謝をささげる」ことです。
また、自分の思いを【主】に委ねることにより、思い煩いから解放されるのです。
自分の願いを【主】に知ってもらう事でもあるのです。
しかし、その【主】からの応答は、「【主】にある平安」の約束であり、「心と思い」が【主】によって守られるという約束でもあるのです。
とにかく、【主】に願いや思い煩いを委ねて解放されましょう。
そして、【主】の御心をワクワクしながら待つのです。
もちろん、自分自身の使命を身軽に務めながら。
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