自分の一生の台本が手元にあったなら ナサニエル・ホーソン

『人間が自己の未来について熟知してしまったら、そのひとの一生は、つねに限りない歓びと恐怖がまざり合って、一瞬といえども平和な時がなくなろう。ナサニエル・ホーソン「ディヴィッドースワン』』

このフレーズを別の言葉で表現するとタイトルのようになると思います。

それは、「自分の一生の台本」が手元に置かれている状態です。

人生は、「暗中模索」とか「五里霧中」などの四字熟語がシックリするほど、見通しがきかないモノですね。

映画の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を見ていると、コミカルなやり取りの中に、非常にシリアスな要素を垣間見ることがあります。そもそも、そのようなシナリオに仕立ててあるのです。

それは、未来から過去へ、タイムスリップした主人公が、ココで下手をすると自分の存在が消えてしまうなどというシーンです。両親が破局しそうになるような場面で、主人公が危機感を持つのです。

その設定が、歴史をさかのぼっているので、現状の変更などあり得ないのですが、シナリオが変更されると、未来の自分が否定されてしまうとの展開になる可能性があるのです。

自分の一生が、決められているとしたら、そして、その内容が事細かに記されていたら、どの様な心情になるのでしょう?

数年に一度くらい野球賭博などの嫌疑で、選手や関係者がペナルティーをもらう事があります。それは、永久追放などの重い処分もあります。それほど、やってはいけないことなのです。

しかし、仮定の話として、野球の試合に、決められた台本があって、ここで三振とか、ここでホームランなどと書いてあったとしても、それを忠実に再現できる可能性が、どれくらいあるのでしょうか?

バッターにとってのサービスボールでも、ホームランが打てるとは限りません。

映画の撮影なら、「Take2」以降も可能です。でも、ライブでは、完全な再現は難しいでしょうね。

役者は、台本が無いと演技のしようがありません。

しかし、自分の人生の台本があったとしたらどうなのでしょうか?

それをライブで再現していくのです。

当然、喜怒哀楽あり、その「歓びと恐怖」に苛まれるのでしょうね。理不尽なことに巻き込まれたり、自分が相手に対して理不尽なことをしてしまったり、その台本の修正さえできないというのは、なんとも、耐え難い心境に陥るようにイメージします。

その台本に翻弄されて、心がかき乱されることでしょうね。

人生には、知っていた方が良いこともありますが、知らない方が良かったこともあるようです。

ナサニエル・ホーソーン(ナザニエル・ホーソーン、Nathaniel Hawthorne、1804年7月4日 – 1864年5月19日)は、アメリカ合衆国の小説家。日本語では「ホーソン」と表記されることもある。

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Posted by dblacks