共有を考える 「和して同ぜず 論語」中国の故事成語

『◇和して同ぜず(中国の故事成語)
 人と協力して、調和を保って行動するが、むやみやたらに人に従ったりはしないほうがよいということ。「和」は、主体性を持ちながら、他人と親しく交わり助け合うこと。「同」は、自分の考えもないままに、ただ他人の言動に同調すること。出典は『論語』。孔子が君子の協調のしかたについて、「お互いに助け合 いながらも、むやみに同調して従ったりはしないものだ(君子は和して同せず)」と述べた言葉から、この語ができた。なおその後には「小人は同じて和せず」と続いている。』

日本の美徳の一つは「和を以て貴しとなす」が上げられます。故事ことわざ辞典によれば「何事をやるにも,みんなが仲良くやり,いさかいを起こさないのが良いということ」を意味します。

でも、論語からの影響なのですね。文化的な背景、民族的な背景には謎が多いです。

水面下で、色々な気持ちがあっても、水面は穏やかに収めるというニュアンスです。

利害関係の調整では、水面に波紋ができることもありますよね。

あえて、鏡のような水面に、一石を投じるのも、非常に勇気と決断を要することです。

冒頭のフレーズも、論語からのものです。

「和して同ぜず」は、調和を重んじるアプローチです。

「「和」は、主体性を持ちながら、他人と親しく交わり助け合う」とあるのは、自分の自由意志で、周囲の人と親しくし、助け合うということですね。

「「同」は、自分の考えもないままに、ただ他人の言動に同調する」は、自分の意志を持たずに、ただ同調することなのです。

人間には、それぞれに自由意志があり、考え方も異なるのが自然です。でも、世の中の流れは、一人一人の意志を無視して、同調させるモノが多いです。

誰かが、意見を述べただけで、波紋どころか、大波がたつことさえ少なくありません。

これは、別の視点が必要では無いでしょうか?

それは、「共有」という視点です。

どのような集団で、何を、何のために、どの様に進めていくのか? という流れです。

いきなり、「こんなことをやることになりました」と言われることもあります。

企画段階から、根回しが上手な人が仕切れば、そうはならないことでしょう。

でも、現実的にはありますね。

そのようなときでも、「共有」という考え方に、当てはめられれば、協力が得られやすいのではないでしょうか?

穏やかなだけの水面は、やがて、よどみに至る可能性があります。

時には、活発な意見交換という小石で、水をかき混ぜることも大切だと考えています。

しかし、自分の意見を言いたいだけとか、やりたいだけという利己的なモノには気を付けたいですね。

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Posted by dblacks