悔い改めの三つの祝福 使徒の働き3:17-21
『3:17 さて兄弟たち。あなたがたが、自分たちの指導者たちと同様に、無知のためにあのような行いをしたことを、私は知っています。
3:18 しかし神は、すべての預言者たちの口を通してあらかじめ告げておられたこと、すなわち、キリストの受難をこのように実現されました。
3:19 ですから、悔い改めて神に立ち返りなさい。そうすれば、あなたがたの罪はぬぐい去られます。
3:20 そうして、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにあらかじめキリストとして定められていたイエスを、主は遣わしてくださいます。
3:21 このイエスは、神が昔からその聖なる預言者たちの口を通して語られた、万物が改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。 使徒の働き3:17-21新改訳2017』
ペテロは、ソロモンの回廊に集まってきたユダヤ人男性に向けて、イエスを「裁判のために異邦人に引き渡した」こと、「ピラトの面前で拒んだ」こと、「人殺しのバラバというイエスを許せ」と言ったこと、その結果「いのちの君」を殺すに至ったことを糾弾しています。
それは、「無知」によって行ったと説明しています。それを聞いている自分には知識があると自認している人は、特に大きな衝撃を受けたことでしょう。
でも、【主】の視点は違ったのです。
旧約聖書には、「受難のメシアの預言」もあれば、「栄光の王としての預言」もあります。イエス・キリストが初臨の時に、ユダヤ人は栄光の王イエスを願っていました。それは、弟子たちも同様でした。まさか、「受難のメシア」として来られたとは、考えられなかったのです。
後の時代から整理すると、「イエスが初臨されたときには受難のメシアとして、人類の救済の贖いを完成させるため」、やがて、「イエスが再臨されるときには、栄光の王として来られる」と言うことです。
ただ、初臨の時に、ユダヤ人がメシアであるイエスを拒否しなければ、別のシナリオになっていた可能性も考えられます。しかし、聖書の流れを見れば、そのようにはなりませんでした。
それに続いて、悔い改めのススメがなされています。
これは、ユダヤ人が拒否したメシアであるイエスに関する認識を変えることです。
この悔い改めの異邦人へのススメは「無神論を変え、創造主である神【主】に転心すること」です。
その悔い改めに伴う祝福が三つあります。
一つ目は、「あなたがたの罪はぬぐい去られ」るのです。これは、「罪のゆるしの約束」です。
二つ目は、「回復の時が来て」とあるのは、「メシアであるイエス・キリスト千年王国(メシア的王国)の約束」です。
三つ目は、「キリストとして定められていたイエスを、主は遣わして」とあるのは、「メシアであるイエス・キリストの再臨の約束」です。これは、広い意味では、空中携挙も地上再臨もイメージできる可能性があります。
地上再臨の前提条件は、イスラエルの民族的悔い改めが必須です。歴史の鍵を握っているユダヤ人に対しても、異邦人に対しても、【主】の福音が宣べ伝えられる必要があるのです。それぞれの役割を果たせるように、励みたいですね。
「万物が改まる時」とあるのは、新天新地をイメージできます。
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