他山の石って、どんな石? 中国の故事成語
『◇他山の石 (中国の故事成語)
中国最古の詩篇といわれる書、『詩経』から。「他山之石、可以攻玉。」とあり、「他の山にある石はどんなつまらない石でも、自分の宝石を磨くのに役に立つ」という。転じて、他人の誤った行いが、自分の行いを改めるのに役に立つということを意味している。「人のふり見て我がふり直せ」、「反面教師」という言葉に置き換えることもできる。文化庁の世論調査によると、この言葉を「他人の良い言行は自分の行いの手本になる」と誤解している人が多いというが、これとはまったく逆の意味である。』
「他山の石」は、「人のふり見て我がふり直せ」、「反面教師」と受け取るのが正当らしいです。
他の山にある石のカタチが悪くても、何かの役に立つという所からの発想ですから、何かの欠点に焦点を合わせるようです。
お手本と聞くと、その通りに真似をして学ぶという意味になるのでしょうか?
あくまでも、何らかの欠点を見つけて、自分が同じような事をしていないかチェックすると言うことなのですね。
確かに、自分の欠点には気づかなくても、他人の欠点には敏感ですから、このセンサーは有効に活用したいですね。
最近は、他人のマナー違反などを指摘するのも、トラブルになるケースがSNSなどにも出てきていますので、ウマくこの気づきを活用する方法を習慣化しておきたいですね。
他人の欠点は、他人を叱責するためではなく、自分をチェックするために適応するのが第一義的によろしいのではないでしょうか。
相手との関係性が良ければ、その行為が気になったというディスカッションが可能になると思います。
これらのことも踏まえて、できるだけ良好な関係を保っておきたいと考えています。
他人への配慮と自分自身の精神的な自立は、矛盾しません。
でも、どちらが正しいかという、正解の幅を狭めていけば、共存できなくなる可能性があります。
あきらかなマナー違反は、やり過ごすか、公共的な指導に委ねるなどの対処も必要でしょう。
でも、自分自身が誰かの不快感を強めていないかという視点でチェックすることも、時には必要かも知れません。
これも、両極端で、繊細な人は、さらに神経質になり、傍若無人な人は、益々、横柄な振る舞いになる傾向もあります。
もう少し、お互いに対する配慮が行き届く世の中になって欲しいなと考えています。
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