愛は黙って寄り添う 箴言17:9
『17:9 愛を追い求める者は背きの罪をおおう。同じことを蒸し返す者は親しい友を離れさせる。 箴言17:9新改訳2017』
「同じことを蒸し返す者」と記されています。
これは、他人よりも、まず自分の事を省みる必要があるのではないでしょうか?
思考能力が限られているのは分かっているはずなのに、すでに過ぎ去っている過去のことを思い出して悩むのです。それは、自分の中では、未消化なのでしょうね。
でも、「今ココ」に集中するためには、スッキリとする必要があります。
過ぎ去っているとは、どのようにあがいても取り返しがつきません。それに処理能力を使うのは非効率ですね。
何かに集中しようとすると、過去の失敗体験がもたげてきて、挫折感を増して、打ちのめすのです。
これは、次々に、手を替え品を替えて堂々巡りを繰り返す事があります。
ます、その事実を認めて、自己受容する必要があります。
また、そのようなくり返しに付き合わされる友人は、だんだんエネルギーを吸い取られ、疲弊していきます。
それにより、その関係性にも変化が訪れることが多くあります。
しかし、「愛を追い求める者は背きの罪をおおう」とあるのは、挫折体験に打ちのめされた状態でも、そのまま、愛で包み込まれるというアプローチです。
成果主義が主流の21世紀は、多くの人が生きづらさを抱えています。
それは、成果が出ず、失敗と評価されたら即終了というケースが多いからです。ゆとりも夢も希望も持てずに、どこか安全地帯に身を隠すような自己防衛をとりたくなるのです。
それでも、暖かさを感じる場所はあるモノです。
何がどうなっても、「両手を広げてハグをしてくれる誰かの存在」です。自分の身近に、そのような人がいるのなら、本当に有難いことです。
この箴言は、蒸し返す無限ループの戒めです。
そして、「背きの罪」に苛まれている人への希望を与えています。
これは、メシアであるイエス・キリストの預表でもあります。
つまり、「罪を取り除く神の子羊」として、人類の救済を完成するという示唆です。
21世紀の今、創造主である神【主】の義が成り、【主】の愛による赦しが備えられているのです。
ですから、用意されている「義の衣」を信仰によって着る事で、スッポリと【主】の愛に包まれるのです。
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