ありのままを見せられないから… 寺田寅彦

『ちょっと考えると「美しく見せよう」という動機から化粧が起こったかと思われるが実はそうでないらしい。むしろ天然自然の肉体そのままの姿を人に見せてはいけない、そうすると何かしら不都合なことが起こるという考えがその根底にあるのではないかと疑われる。 寺田寅彦』

「化粧は何のために、誰のためにするのか?」 などとの問いがあります。

それは、エチケットだというのが主流のように感じているのですが、実際の所はどうなのでしょうね。

このフレーズを見て、思い当たるコトがあります。

それは、植物の園エデンで、善悪を知る樹の実を食べてしまったアダムとエバのことです。

彼らは、それまでも、同様に、裸でした。でも、その実を食べる前と後では、感じ方が大きく変わっていたのです。

それは、「裸であることを恥ずかしく」感じるようになっていたのです。

これが、このフレーズの「天然自然の肉体そのままの姿を人に見せてはいけない、そうすると何かしら不都合なことが起こる」という部分とリンクしているように感じています。

その何かを想像するまで、具体化していなくても、潜在的な感覚がそうさせるのかも知れません。

その一つは、防衛本能とも言えるのでしょう。

日本でも、江戸時代には、銭湯が混浴だったらしいのです。そこで、繰り広げられたのは、おおらかな交流だったようです。その交流を男も女も楽しみにしていた人もいたらしいのです。しかし、それらから不都合なことも起きて、混浴の文化が衰退していったと聞きます。

不都合なこと言うのはそれぞれの事情で異なるのですね。

最近は、男性でも、メイクアップをする人が増えているようです。

女性の中で、スッピンという人は極少数派らしいのです。

女性で、メイクアップをしている人の悩みは、スッピンとギャップがあるという悩みで、夜寝るときにどうするかという課題があるそうです。

しかし、多数派の石油系ならメイクを落とさず寝たら、肌にダメージがありそうですが、非石油系の化粧品を使うことで、メイクアップしたまま寝ても、肌にダメージがないというものもあるのです。

この視点では、ニーズにマッチする可能性もありますね。

メイクアップは、何のため、誰のため? という大切なお話しです。

大切なのは、自分が自分でいるための何か?という事なのでしょうか?

寺田 寅彦(てらだ とらひこ、1878年(明治11年)11月28日 – 1935年(昭和10年)12月31日)は、日本の物理学者、随筆家、俳人。吉村 冬彦(1922年から使用)、寅日子、牛頓(ニュートン)、藪柑子(やぶこうじ)の筆名でも知られる。高知県出身(出生地は東京市)。

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Posted by dblacks