釈放される使徒たち 使徒の働き5:39-42
『5:39 しかし、もしそれが神から出たものなら、彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすると、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」議員たちは彼の意見に従い、
5:40 使徒たちを呼び入れて、むちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと命じたうえで、釈放した。
5:41 使徒たちは、御名のために辱められるに値する者とされたことを喜びながら、最高法院から出て行った。
5:42 そして毎日、宮や家々でイエスがキリストであると教え、宣べ伝えることをやめなかった。 使徒の働き5:39-42新改訳2017』
尊敬するラビのガマリエルに対して、「議員たちは彼の意見に従い」と記してありますが、その後はいただけません。
「使徒たちを呼び入れて、むちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと命じたうえで、釈放した。」とあるように、「ムチ打ち」と「脅し」を加えてから、釈放したのです。
これは、明らかにガマリエルの助言と違います。
でも、サンヘドリンの空気感は、そうせざるを得ないほどに、追い込まれていたのですね。垂れ込めた暗雲に打ちのめされていたのです。
使徒たちは、「ムチ打ち」と「脅し」をされても、堂々と胸を張って、「御名のために辱められるに値する者とされたことを喜びながら」出ていったのです。彼らにとっては、勲章と受け取るほどの出来事でした。
当時のムチ打ちとは、40を超えてはいけないという基準があるものの、イスラエルでは牛の皮三本でムチが作られ、胸13回、背中26回、合わせて39回というものです。当然、服は破かれ、流血します。ローマの鞭打ちはもっと残酷です。
もう、使徒たちの口に戸を立てられるものはいなくなったようです。
「毎日、宮や家々でイエスがキリストであると教え、宣べ伝えることをやめなかった。」とあるように、エルサレム中の隅々まで、イエスこそメシアであることが、浸透していったのです。
信仰者が、どのような生涯を歩んだか?
この使徒たちは、迫害され、処刑される道をたどりました。しかし、その生涯のすべてが、イエスがメシアである事の証になりました。
議会での証言も含めて、人間的な理不尽さを感じる一つひとつが、彼らに備えられたステージだったのです。
それは、選ばれた人との見方も可能です。しかし、その失敗や不信仰な事実も聖書に記されています。
彼らは、メシアであるイエス・キリストの十字架刑の死と、復活によって、そして、イエスの昇天を目撃する事によって確信を深めるに至ったのです。
そして、ペンテコステの日、聖霊が降り、創造主である神【主】の力に満たされ、筋金入りの証言者になったのです。
地上でのメシア的王国を夢見ていた弟子たちの変貌ぶりは、誰よりも、当人たちが驚いたことでしょう。
大患難時代に向かっている世の中には、必ず、迫害が迫ってきます。どのような状況でも、【主】のめぐみによる信仰と平安を実感しながら、自分の使命に忠実でありたいものです。
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