ごく自然に愛せると言うこと 中原中也
『ごく自然に、だが自然に愛せるといふことは、そんなにたびたびあることでなく、そしてこのことを知ることが、さう誰にでも許されてはならないのだ。 中原中也』
「自然体で生きる」と言うことは、何もしなくてもできるはずですが、そのようにしている人は少数派のように感じます。
どこかに、不自然なチカラを入れて、身体を歪ませながら緊張して生きている人が多いのではないでしょうか?
このフレーズを遺した中原中也は、30歳の若さでこの世を去っています。
開業医の息子として生まれ、神童とも呼ばれた彼は、医者になることを拒み、詩の世界に没頭したと記されています。
彼が求めた自然とは何かは、私には分かりませんが、このフレーズからは、何かの問いかけを感じました。
「愛」とは、純粋で、自然、ありのままという、飾らないものと思いたいですが、実際には別の側面もあります。
それは、打算や計算、計略まで、様々な思惑が渦巻くのです。
情と欲が絡む、ヤバいドロドロも伴うことがあります。
そのような「愛」を日常的に見ていると、「自然に愛せる」と言うことに驚きさえ感じるのでしょう。
その対象になれる人とは、幸せな何かが、生まれる可能性があります。
きっと、見栄や虚勢を張らなくても、自然体で居られる相手だったのでしょうね。
「無い物ねだりをせず」
「あるものを誇らず」
「あるものに感謝して」
より自然体の人生を歩みたいと考えています。
中原 中也(なかはら ちゅうや、1907年〈明治40年〉4月29日 – 1937年〈昭和12年〉10月22日)は、日本の詩人・歌人・翻訳家。旧姓は柏村(かしむら)。
代々開業医である名家の長男として生まれ、跡取りとして医者になることを期待されていた。小学校時代は学業成績もよく神童とも呼ばれたが、8歳の時、弟が風邪により病死したことで文学に目覚めた[1]。中也は30歳の若さで死去したが、生涯で350篇以上の詩を残した。その一部は、結婚の翌年刊行した第1詩集『山羊の歌』および中也の死の翌年出版された第2詩集『在りし日の歌』に収録されている。訳詩では『ランボオ詩集』や、数は少ないがアンドレ・ジイドの作品などフランス人小説家の翻訳もしている。日本大学予科、中央大学予科などを経て東京外国語学校(現在の東京外国語大学)専修科仏語部修了。
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