未成熟な愚かさ 箴言22:15
『22:15 愚かさは子どもの心に絡み付いている。懲らしめのむちがこれを子どもから遠ざける。 箴言22:15新改訳2017』
試練や困難を味わわない人生は圧倒的に少数派だと感じています。
その中で、試練や困難にあっても、落ち込まずに、平安に生きている人も見かけます。人生の達人です。
この原理を理解すると、子どもよりも、大人が成熟していく方が、優先順位が上のように感じてきます。
シンプルに言えば、人間はみな子どもなのです。
何歳であっても、未成熟であり、寿命を全うする瞬間まで成長できるのが人間です。
大人の着ぐるみを着ていても、その中には未成熟な子どもも存在しているのですね。
この箴言で示唆されている「愚かさ」は、その未成熟な部分との関係があると考えています。
ここへのアプローチは、細心の注意が必要です。
21世紀の今の時代は、体罰が禁止されています。また、「コラー」などと叫ぶと、パワハラ認定されてしまいます。
昭和の時代には、子育てには「お尻ペンペン(スパンク)」など、今の時代には、児童相談所に通報されかねない行為がありました。
手が出る行為は、未成熟さの露呈でもあります。
いのちを守るために、とっさに出が出るという事はあります。その場合、命に向き合っていることに意義があるのです。
いのちや身体、心を傷つける虐待はNGです。
「支配欲からの脱却」も大切なテーマです。
「懲らしめのむち」と言うモノが、今の時代の何に相当するのか? とても大きな課題ですね。
これを暴力と短絡的にとらえると無用なトラブルに発展しますので、要注意です。
子どもの意識を汲み取り、目さんの高さを合わせて、同じ方向を向きながら、一緒に考えていくスタンスが大切なのではないでしょうか?
保護者のプライドや世間的評価をいったん脇に置いて、冷静にコミュニケーションとることが必要なのです。
子どもの理解が進むと「愚かさ」に気づき、そこから転心し、転身への道が開けるのです。
いのちに向き合い、愛を実感しながら、冷静に寄り添いたいでしょう。
子どもに刺さるのは刃物ではなく、保護者の愛がこもった言葉なのでしょうね。
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