サウロによる信仰者への迫害 使徒の働き8:1-4
『8:1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。
8:2 敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のためにたいへん悲しんだ。
8:3 サウロは家から家に押し入って、教会を荒らし、男も女も引きずり出して、牢に入れた。
8:4 散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。 使徒の働き8:1-4新改訳2017』
ここから、サウロについてのストーリーに移ります。
サウロは、祖父の代で移住したタルソ(小アジヤキリキヤ=現トルコ)出身のユダヤ人です。
迫害者サウロが宣教者パウロになったようなイメージが強いですが、実際の所は違うようです。
彼は、ユダヤ人でありながら、生まれつきのローマ市民です。ですから、ヘブル名とローマ名を併せ持っていたのです。
つまり、ヘブル名がサウロ、ローマ(ラテン)名がパウロなのです。
サウロは、ギリシャ語育ち、すなわち、ディアスポラのユダヤ人です。一族の誇りでもあったサウロは、エルサレムの親族の世話になりながら、ガマリエルを師匠として、英才教育を受けたのです。それは、5歳くらいから始まると言われ、この時には、40歳には届かないくらいだったとも言われています。
血統の上でも、才能の点でも申し分なく、ユダヤ教の次世代を担う有力者だったのです。
ステパノが石打ちにされる場面でも、彼はそこに居て、迫害者の視点で何らかの役割を果たしていました。
彼は、ダマスコで復活のイエスに出合うまで、未完成のまま、迫害者として暴れまわるのです。
「迫害は信仰の炎を燃やす」という考え方があります。
それは、時代を超えて、起きてきた現象です。
信仰者を抹殺して亡き者にしようとしても、不可能であるし、逆効果になるというくり返しです。それは、これからも、続いていくことでしょうね。
この時も、迫害者サウロは、信仰者を襲撃して拘束したりし、使徒たち以外は、他の地方に散らされたのです。
その結果、信仰者たちが生活する場での福音伝達が始まったのです。
大宣教命令では、「エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。(使徒の働き1:8新改訳2017)」とあります。
福音の伝播は、次の段階への移行期にさしかかったのです。
人生の中で、順風満帆の時よりも逆風を感じる時こそ、次の人生の扉が開くという経験を持っている人も多いと思います。
試練や困難に直面するときに、それから、目を逸らさずに真摯に向き合うマインドこそ、信仰者の本領発揮という感じではないでしょうか?
もちろん、物事によっては、自分が介入しないという選択もアリです。
創造主である神【主】との交わりによってこそ、判断力も対応力もエネルギーも補充されるのです。
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