サマリヤ人伝道 ピリポの働き 使徒の働き8:5-8
『8:5 ピリポはサマリアの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。
8:6 群衆はピリポの話を聞き、彼が行っていたしるしを見て、彼が語ることに、そろって関心を抱くようになった。
8:7 汚れた霊につかれた多くの人たちから、その霊が大声で叫びながら出て行き、中風の人や足の不自由な人が数多く癒やされたからである。
8:8 その町には、大きな喜びがあった。 使徒の働き8:5-8新改訳2017』
サマリア人伝道のはじまりです。
当時は、ユダヤ人とサマリア人の間に対立関係がありました。
『そのサマリアの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリアの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」ユダヤ人はサマリア人と付き合いをしなかったのである。(ヨハネ4:9新改訳2017)』
そこには、根深い事情による、目に見えない境界線(バウンダリー)があったのです。その領域に踏み込むのは、かなりの勇気を必要とすることです。
サマリアの町に下るという表現は、地形的な関係性です。エルサレムから離れるときに使われる表現です。
道路の説明で、「上り」「下り」などと使われますが、それは、地形的だけではなく、何等かの基準によるもので、優劣の論争になったりします。
いよいよサマリア人への伝道が、初代エルサレム教会の7人の世話役だったピリポによって行われたのです。この働きは、使徒に似ています。おそらく、権限の委譲があったと考えられています。
それは、「キリストを宣べ伝え」ると共に、「彼が行っていたしるし」と記してあることに関連しています。
いつの時代にも、病や障害が即座に治るという奇跡を求める人が多くいます。
しかし、その原則は、創造主である神【主】の栄光が現されるためです。
また、それに類する「フェイク」や「詐欺」なども横行してきました。
ただ、この時代のピリポにとって、福音宣教のためには、大切な【主】の御業だったのです。
「彼が語ることに、そろって関心を抱く」というのは、その内容が「キリストを宣べ伝えた」と言う事だからです。
そして、「汚れた霊につかれた多くの人たちから、その霊が大声で叫びながら出て行き、中風の人や足の不自由な人が数多く癒やされた」のです。
それは、創造主である神【主】の栄光が現れるためだったのです。
人間的には、超える事が難しい状況を、【主】の方法によって超えることができたのです。
「その町には、大きな喜びがあった」とあるのは、最大限の成果が得られたという事でしょうね。
福音が正しく伝わるときに、喜びがあります。
そして、信仰者が増えると、天にも大きな喜びがあるのです。
それは、新生した赤子の霊的生命の誕生を宇宙規模でお祝いするイメージなのですね。
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