ヨハネの黙示録トピックス(1)
◆学ぶ者に祝福を約束している唯一の書 …ヨハネの黙示録
『1:3 この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを守る者たちは、幸いである。時が近づいているからである。 ヨハネの黙示録1:3新改訳2017』
『22:7 「見よ、わたしはすぐに来る。この書の預言のことばを守る者は幸いである。」 ヨハネの黙示録22:7新改訳2017』
『この書の預言のことばを守る者』とは、ヨハネの黙示録の預言を信じ、メシアの再臨を期待しながら地上生涯を歩む人のことを意味しています。
◆七つの祝福…ヨハネの黙示録の学び
(1)創造主である神【主】は主権者であり、人類の歴史を支配しておられるという確信が与えられます。
(2)創造主である神【主】はいつか、善が悪に勝利するように摂理の御手をもって導かれるという確信が与えられます。
(3)イエス・キリストが空中に聖徒を迎えに来られる携挙の時が近づいているという希望が与えられます。
(4)やがて、天において、すでに召された聖徒たちと再会し、イエス・キリストと共に永遠に住むようになるという希望が与えられます。
(5)イエス・キリストにあって与えられている救いが、どれほど素晴らしいものであるかを深く知るようになります。
(6)創造主である神【主】のことばである聖書に対する信頼性が増します。
(7)創造主である神【主】は、ご自身の約束に忠実な御方あることを、深く確信するようになります。
◆ヨハネの黙示録を解釈する四つのアプローチ
ヨハネの黙示録は、さまざまな解釈が提唱されてきました。
もし、この書が人間の作品の寄せ集めであるなら、混乱をもたらすだけですが、創造主である神【主】の霊感を受けて書かれた「神の啓示の書」だとすると、人知では計り知ることのできない未来の出来事に関する情報や、永遠の世界に関する情報を得たことになります。
解釈の前提として、ヨハネの黙示録は『創造主である神【主】の霊感』を受けて書かれた「神の啓示の書」であること、聖書の他の書と同じように、ヨハネの黙示録も字義通りに解釈する(著者の意図を探し当てる作業)必要があること、ヨハネの黙示録に出てくる「言葉使い」や「象徴」は、他の聖書箇所での使用法に照らして、その意味を判断する必要があることを総合すると、ディスペンセーショナリズムに基づく、千年期前再臨説、患難期前携挙説に立って、ヨハネの黙示録を解釈するということです。字義通りの解釈と比ゆ的表現の捉え方が非常に重要です。
ヨハネの黙示録を創造主である神【主】の啓示の書と認めても、まだ解釈上の問題は残ります。
教会史上、四つのアプローチが提唱されてきました。このスタディーノートでは、「4.未来的アプローチ」の立場に立って、ヨハネの黙示録を学んでいます。
1.歴史主義的アプローチ
ヨハネの黙示録は、紀元1世紀からメシアの再臨に至るまでの教会史の預言的パノラマを提供しています。このアプローチは、紀元4世紀に誕生しました。それは、当時の教会が置かれていた状況と聖書預言の間に相関関係があると見た学者が、この説を提唱したのです。
フィオーレのヨアキム(1135‐1202年)は、歴史を三つの時代に区分しました。それは、「父の時代」、「子の時代」、「聖霊の時代」です。
宗教改革者たちもこの説を支持しました。彼らは、カトリックの法王を反キリストとみなしたのです。その根拠は、黙13章の二匹の獣です。それは、海からの獣(十本の角と七つの頭。七番目が反キリスト)と、地中からの獣(小羊のような二本の角。偽預言者)と考えたのです。
しかし、ヨハネの黙示録と他の聖書預言の箇所を比較すると、この説の弱点が見えてきます。ダニエル9:25~27、マタイ24~25章、2テサロニケ2:1~12、テトス2:13~14、これらの預言箇所は、将来の出来事を指し示しています。
大患難時代、反キリストの登場、再臨、千年王国、白い御座の裁き、永遠の秩序へと続くのです。
2.比ゆ的アプローチ
これは、アレクサンドリヤ神学(アレクサンドリアのクレメンス、オリゲネス)によって提唱されました。この神学はギリシャ哲学の影響を受けていて、「霊を善」、「物質を悪」とみなす傾向が非常に強いのです。それを考えると、本質的に反キリアズムです。キリアズムとは、初期の教会が持っていた千年王国を信じる信仰のことです。アウグスチヌスもこの神学の伝統を受け入れました。
ヨハネの黙示録は、今も続いている「神と悪魔の戦い」、「善と悪の戦い」を、象徴的に描写したものと考えてます。
しかし、このアプローチには致命的な欠陥があります。
それは、なぜヨハネの黙示録が、当時迫害で苦しんでいた聖徒たちの慰めになるのか分からないと言うことです。
また、ヨハネの黙示録に出てくる具体的な数字「四十二か月(ヨハネの黙示録11:2)」や、「千二百六十日(ヨハネの黙示録12:6)」の意味を解明することができないことです。
ヨハネの黙示録に出てくるさまざまな象徴は、将来登場する具体的な人物や出来事(大患難時代、反キリスト、再臨、千年王国、白い御座の裁き、永遠の秩序)を指し示しています。
3.預言既成的アプローチ
ヨハネの黙示録の預言は、紀元七十年に、ティトゥス将軍とローマ軍がエルサレムを滅ぼし、神殿を破壊した時に、すべて成就した。従って、黙示録は将来の出来事を預言しているわけではないと考えるアプローチです。
しかし、これはヨハネの黙示録自身の証言と矛盾しています。「預言のことば」は、ヨハネの黙示録1:3や、22:7に出ています。また、その他、ヨハネの黙示録22:10、18~19にも「預言」という言葉が出ています。
また、紀元70年には人類の三分の一は死んでいません(ヨハネの黙示録9:18参照)。
さらに、ヨハネの黙示録の執筆年代は、紀元95年頃であり、紀元70年よりも後でなのです。
4.未来的アプローチ【本書では、このアプローチを採用】
ヨハネの黙示録のほとんどは、メシアであるイエス・キリスト再臨の前に起こる終末時代の出来事の預言です。4章以降が将来の預言で、「4~18章は大患難時代」、「19章はメシアの再臨」、「20章はメシア的王国(千年王国)」、「21~22章は千年王国から永遠の秩序への移行」が記されています。
未来的アプローチは、ヨハネの黙示録を字義通りに解釈することを可能にする唯一のアプローチです。
その理由として、メシアの初臨に関する旧約聖書の預言(100以上)は文字通り成就しました。そのように、再臨とそこに至るまでの出来事の預言も、すべて文字通り成就すると信じる立場です。初期の教会は、未来的アプローチを採用していました。
ディスペンセーション神学を信じる人たちは、このアプローチを採用してヨハネの黙示録を学びます。
この書(ヨハネの黙示録)が当時の信仰者の慰めになるということを疑問視する人たちもいます。その人たちは、「遠い未来に起こることが、なぜ今、苦しんでいる人にとって慰めとなるのか。」という気持ちを抱えています。
聖書預言の多くが、遠い未来の出来事を扱っています。それは、「旧約聖書におけるメシア預言」であり、「ダニエル書における異邦人の王国に関する預言(ダニ2章、7章)」です。
でも、人間の感覚ははるか遠くに感じていても、創造主である神「【主】の日」は、ある日突然やってきます。
『3:10 しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。
3:11 このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。
3:12 そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。 2ペテロ3:10~12新改訳2017』
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