万能感を欲しがる魔術師シモン 使徒の働き8:9-13、18-25
『8:9 ところで、以前からその町にはシモンという名の人がいた。彼は魔術を行ってサマリアの人々を驚かせ、自分は偉大な者だと話していた。
8:10 小さい者から大きい者まで、すべての人々が彼に関心を抱き、「この人こそ、『大能』と呼ばれる、神の力だ」と言っていた。
8:11 人々が彼に関心を抱いていたのは、長い間その魔術に驚かされていたからであった。
8:12 しかし人々は、ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えたことを信じて、男も女もバプテスマを受けた。
8:13 シモン自身も信じてバプテスマを受けると、いつもピリポにつき従って、しるしと大いなる奇跡が行われるのを見ては驚いていた。(中略)
8:18 シモンは、使徒たちが手を置くことで御霊が与えられるのを見て、使徒たちのところに金を持って来て、
8:19 「私が手を置く者がだれでも聖霊を受けられるように、その権威を私にも下さい」と言った。
8:20 しかし、ペテロは彼に言った。「おまえの金は、おまえとともに滅びるがよい。おまえが金で神の賜物を手に入れようと思っているからだ。
8:21 おまえは、このことに何の関係もないし、あずかることもできない。おまえの心が神の前に正しくないからだ。
8:22 だから、この悪事を悔い改めて、主に祈れ。もしかしたら、心に抱いた思いが赦されるかもしれない。
8:23 おまえが苦い悪意と、不義の束縛の中にいることが、私には見えるのだ。」
8:24 シモンは答えた。「あなたがたが言ったことが何一つ私の身に起こらないように、私のために主に祈ってください。」
8:25 こうして、使徒たちは証しをし、主のことばを語った後、エルサレムに戻って行った。彼らはサマリア人の多くの村で福音を宣べ伝えた。 使徒の働き8:9-13、18-25新改訳2017』
シモンという名前は、ペテロも同じで、皮なめしのシモンという人も後に登場するので、よくある名前だったのでしょう。
その町のシモンは、魔術師で、サマリアの人を驚かせ「自分は偉大な者」と吹聴していました。
それにより、周囲の人からは「神の力(大能)」を持つ人のように見られていました。それは、シモンがしてきた魔術に驚かされていたからなのでした。
しかし、魔術師シモンがしてきたのは、ピリポが行う【主】の聖霊による「しるしと大いなる奇跡」とは本質的に違うものでした。
周囲の人は、騙せても、魔術師シモンは「自分自身にはないチカラ」によってなされているピリポの働きを一瞬も見逃すまいと、ピリポに貼り付いていたのです。
魔術師シモンは、他の人たちと同様に、バプテスマ(洗礼)を受けました。
しかし、その本質を理解していないようです。
信仰の原則を確認しておく必要があります。信仰は、無代価で、【主】のめぐみによって与えられるのです。そして、信じた瞬間に、聖霊の内住を受けるのです。
また、ペンテコステ以降のバプテスマは、信仰の表明としての「水のバプテスマ」と、新生した瞬間に起きる「聖霊のバプテスマ」に分類されます。これは、プロテスタント福音派に多く見られる見解です。
このバプテスマの一番大切なポイントは、【主】とのタテの関係です。ヨコの誰との関係ではなく、タテの一対一の関係です。このためには、金銭は必要ありません。つまり、無代価です。
魔術師シモンがバプテスマを受けた動機が、18節から露呈してきます。
「使徒たちのところに金を持って来て」というのが、まるで、魔術のタネを買うような心情を表しています。
使徒たちは、魔術師シモンに「おまえが苦い悪意と、不義の束縛の中にいる」と宣告します。【主】の聖霊は、お見通しだったのです。
その後、魔術師シモンはどうなったのか気になります。
伝承による一説には、彼は、「グノーシス主義の創始者になった」と言われています。
「しるしと大いなる奇跡」は、人々の関心を引き寄せます。
でも、その背景を感じて判断するセンスを磨いておかないと、惑わされる危険性が高まります。
これは、信仰者にとっても、大切な教訓です。自分の動機を探り確認することも、時には、必要なのですね。
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