ヨハネの黙示録第2章スタディーノート(2)ペルガモン、ティアテラ

(4)ペルガモンにある教会(2:12~17)
①宛先(2:12) 
 ペルガモンは、スミルナから約80キロメートル北、エーゲ海から約25キロメートル東に位置し、経済的には裕福ですが、堕落した町でした。また、偶像礼拝が蔓延している町、エスクラピアス神殿(ギリシャ神話の名医)があり、ゼウスの神殿もありました。さらに、アテナ(ギリシャ神話の女神)礼拝やディオニソス(ギリシャ神話の酒の神。バッカス)礼拝もありました。この町の環境は、クリスチャンが生活するには極めて難しいものでした。大規模な図書館(蔵書20万冊)でも有名な町です。
 『鋭い両刃の剣を持つ方』と、キリストを紹介しています。これは、キリストの叱責の言葉を予想した描写です。『両刃の剣』とは、神の言葉です。それは、「信仰者をこの世から切り離す」ことと、「この世を罪に定める」ことを意味しています。
②賞賛(2:13) 
 キリストは、彼らが置かれている困難な状況を知っておられました。ペルガモンの町には、『サタン(悪魔)の王座がある』と記されているのは、エスクラピアス神殿のことでしょう。杖に巻き付いている蛇が、この偶像の象徴です。WHOのマークにも採用されています。
 もしくは、皇帝礼拝のことでしょうか? ペルガモンは、小アジヤでの皇帝礼拝の中心地だったのです。
 このいずれにしても、この町にはサタン(悪魔)が住んでいました。サタン(悪魔)は、神のように遍在ではありません。この時には、サタン(悪魔)は心地よい町ペルガモンにいたのでしょう。
 キリストからの賞賛の言葉について、ペルガモンの信仰者たちは、真実な信仰を保ちました。皇帝礼拝や他の偶像礼拝に参加しなかったのです。忠実な証人アンテパスが殉教の死を遂げた時でも、彼らは信仰を捨てませんでした。
③叱責(2:14~15) 
 妥協に対しての叱責がなされています。
 妥協①:バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムとは、イスラエルを呪った異教の預言者で、彼は、モアブの女を使って、イスラエルを性的に誘惑しました。(民数記22~25章参照)バラムの教えとは、性的堕落を伴う偶像礼拝のことなのです。
 妥協②:ニコライ派の教えを奉じている人々がいる。エペソにある教会は、ニコライ派を退けたのでほめられていました(黙2:6)。ニコライ派は、キリスト者の自由を放縦な生活の口実として用いた人たち、あるいは、教会内で聖職者と一般信徒を区別した人たちです。この世の価値観で聖書を再解釈する時、教会の堕落が始まるのです。
④奨励(2:16) 
『悔い改めなさい』というのがキリストからの奨励です。もし、そうしないなら、キリストご自身による裁きが始まるというのです。この場合、すぐにとは、「予期せぬ時」に、「突然」、という意味です。キリストは、み言葉をもって、あらゆる妥協を裁かれます。
⑤約束(2:17)
 『勝利を得る者』とは、真の信仰者、妥協を許さない信仰者を意味します。『隠されているマナ』と『白い石』が与えられます。
 『隠されているマナ』については、マナはキリストの型で、栄光の御座におられるキリストとの親しい交わりを意味します。偶像に捧げた犠牲を食べない者には、より素晴らしい食物が用意されるのです。
 『白い石』については、旧約時代の裁判では、無罪のしるしとして白い石が渡されました。また、競技会での勝者の宴会に参加できる「勝利のしるし」というものもあり、さらに、主人が客に与える「歓迎のしるし」でもありました。ここでは、「神に受け入れられたしるし」です。信仰者は、神の家族の中に数えられていて、新しい名が書かれているとは、「天の宴会に参加できるしるし」なのでしょう。
※ペルガモンにある教会から学ぶ教訓
 この教会は、「国家と結婚した教会(紀元313年~5世紀末)」の型です。ペルガモンとは、「結婚した」という意味で、ミラノ勅令以降、教会はローマ帝国と結婚したような状態になり、迫害が去ると、教理的純粋性と道徳的純潔を失っていきました。「妥協」がこの教会を表現するキーワードです。
 
(5)ティアテラにある教会(2:18~29)
①宛先(2:18) 
 ティアテラは、ペルガモンから約65キロメートル南東に行った町です。ペルガモンに比べるとはるかに小さな町ですが、商業都市として栄えていて、羊毛と染料で有名でした。
『燃える炎のような目を持ち』とは、教会の現状を見抜いているということです。
『その足は光り輝く真鍮のような神の子』とあるのは、裁き主キリストを描写する言葉なのです。
 黙1:13~15との対比(あなたの見たこと)をしてみると、黙1:13~15では、キリストは『人の子』であるのに対し、黙2:18では、キリストは『神の子』とされています。
 ティアテラ教会の問題を解決するためには、キリストの神性の再確認が必要だったのです。
②賞賛(2:19) 
 キリストは、彼らが信仰者として成長していることを知っておられました。行い、愛、信仰、奉仕、忍耐をご存じで、初めの行いに勝る行いをしていると評価しています。
 ティアテラ教会は、初めの愛から落ちたエペソにある教会とは大いに異なりますが、彼らは深刻な問題を抱えていて、誤った教理を受け入れていたのです。
③叱責(2:20~23) 
 イゼベルという女は、預言者だと自称していて、キリストのしもべたちに誤った教えを吹き込んでいました。教理を間違うと、不品行と偶像礼拝の問題が出てきます。そして、キリストのしもべたちに不品行を行わせていました。その教えは、「肉体の罪を犯しても、霊に影響を与えない」という教えのようです。ヨハネの手紙Ⅰ~Ⅲは、グノーシス主義の問題を取り扱っています。キリストのしもべたちに偶像に捧げた物を食べさせていたのです。
 不品行の問題は、ある期間継続していたのでしょう。悔い改めの機会が与えられたのに、この女は悔い改めようとしませんでした。キリストは、この女をただちに裁かれました。この女が行っていることは姦淫です。この女に同調している者たちは、大きな患難の中に投げ込まれるというのです。『この女の子どもたち』とは、この女に従う者たちを意味します。
 キリストの裁きが劇的なので、全教会はキリストの力を知るようになるのです。言い換えれば、キリストがすべてを見抜いておられることを知るようになるのです。
④奨励(2:24~25) 
 真の信仰者たちへのキリストの言葉です。彼らはレムナント(残れる者)です。つまり、この教会の大半が堕落していたのです。彼らへの奨励はシンプルです。ほかの重荷を負わないので、正しい教理と行い、しっかりと現状を維持するようにという示唆です。
 例え、小さな教会の中で、光を輝かし続けることが大切なのです。
⑤約束(2:26~29)
 勝利を得る信仰者に約束されているのは、千年王国での統治権です。ヨハネは詩2:9を、勝利を得る信仰者に適用しています。
 『治める』(27節)は、ギリシャ語で「ポイマネイ」であり、羊飼いが羊を守り導くという動詞です。キリストは父から支配の権威を受け、それを信仰者に与えるのです。
 28節に『明けの明星』と出てきます。これは、太陽が昇る直前に現われる星です。やがて、キリストは明けの明星として現れ、教会を携挙されるのです。キリストご自身が明けの明星なのです(黙22:16)。
 『耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。』(29節)」という、この表現は、今までは約束の前に出ていました。この手紙では、約束の後に出てきます。
 おそらく、勝利を得る者だけが、『聞く耳を持つ』ということでしょう。残りの三つの手紙でも同じパターンが続きます。
※ティアテラにある教会から学ぶ教訓
 この教会は、「暗黒時代の教会(6世紀~15世紀)」の型です。ティアテラとは「継続した犠牲」という意味で、キリストの十字架の意味を誤解し、継続して犠牲を捧げていました。歴史的には、西方ではローマ・カトリック教会が、東方でギリシャ正教会が支配しました。ティアテラの教会は、忍耐深いけれど、誤った教理を許容する教会という評価です。ティアテラの町に最初に福音を伝えたのは、ルデアである可能性が高く、(使徒の働き16:14~15参照)女性によって始められた教会を支配しているのは、やはり女性のようです。
 イゼベルという名前は、北王国を堕落させたアハブ王の妻イゼベル(1列16:31~33)を思い出させます。ティアテラ教会のイゼベルと旧約聖書のイゼベルには相関関係があるように見えます。実名と考えてもおかしくないですし、イゼベル的な性質を持った女性とも考えられます。また、イゼベルの姿とローマ・カトリック教会の教え「ミサでのパンとぶどう酒は文字通りキリストの肉と血に変わる。」とか、「マリア崇拝、わざによる救い、洗礼による生まれ変わり、煉獄の教えなど」が重なって見える部分もあります。

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