ペテロとヨハネのサマリヤ訪問 使徒の働き8:14-17
『8:14 エルサレムにいる使徒たちは、サマリアの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところに遣わした。
8:15 二人は下って行って、彼らが聖霊を受けるように祈った。
8:16 彼らは主イエスの名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊はまだ、彼らのうちのだれにも下っていなかったからであった。
8:17 そこで二人が彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。 使徒の働き8:14-17新改訳2017』
魔術師シモンが、驚愕し、魅力を感じ、大金を投じてでも手に入れたかった内容です。
歴史を見ると、ユダヤ人とサマリヤ人には、大きな壁が存在していました。
それは、ユダヤ人の警戒心によるものでした。
イエスがサマリヤ人の女に、アプローチした時に、弟子たちは驚愕したことでしょう。弟子たちは、口伝律法も知っていましたから、イエスの話を聞きながら、その間で揺れ動いていたのではないかと私は推察します。
それにならうように、ペテロとヨハネは、サマリヤ人を【主】にある兄弟姉妹として迎えるため、そこに派遣されたのです。
この2人が派遣されたのは、2~3人の証人が必要(申命記19:15)の背景があったと考えられています。
このヨハネは、口の悪い「カミナリの子」という異名を持っていました。
かつて、イエスを拒否したサマリヤ人に対して、「天から火を下して焼き尽くしますか?」などとの発言をしたことでも知られています。
この激しかった性格も、晩年には「愛の人」というイメージになっていきます。使徒の働きでは、この後、ヨハネの名前は出てきません。
今の時代は、信仰者は信じた瞬間に聖霊のバプテスマを受けて、聖霊の内住を受けます。
ここに記された時代は、ペンテコステ以降ですが、特殊な状況だったと考えられています。
「二人が彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。」と記されています。
ここに、魔術師シモンも絡んでいて、信仰と救いの関係を示しているのではないでしょうか?
救いの原則は、信仰により【主】のめぐみによって、無代価で与えられるのです。
時に、今の時代は、【主】を求める人との間に、大祭司イエスが仲介されるので、人間の介在は不要です。
人間は、牧師や伝道師でも、アドバイザー的な立ち位置で、手助けするのみで、誰かが代わりに祈ったから、それだけで救われるというものではないのです。
執り成しの祈りは大切です。それは、【主】の救いを受け入れるように願う祈りです。
この時のように、手を置いて祈る役割によって聖霊を受ける時代ではありません。
いやしなど、しるしと不思議が起きる事があります。しかし、すべてにおいて起きるわけではありません。このさじ加減は、身を持って体験していくより他に方法はないように思います。
【主】の御心を身にしみて感じていくことも信仰生活に大切な事ではないでしょうか?
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