ヨハネの黙示録第3章スタディーノート(1)サルディス、フィラデルフィア
ヨハネの黙示録3章『七つの教会への手紙 サルディス、フィラデルフィア、ラオデキア』
3:1~6 サルディスにある教会への手紙
3:7~13 フィラデルフィアにある教会への手紙 ※叱責と奨励がない
3:14~22 ラオデキアにある教会への手紙 ※賞賛がない
ヨハネの黙示録第3章スタディーノート
(1)サルディスにある教会(3:1~6)
①宛先 (3:1)
サルディスは、ティアテラから南東に約50キロメートルで、東西に走る交易路の要衝の町です。宝石、染料、繊維で有名かつ、裕福な町でした。偶像礼拝の町で、アルテミスの神殿があり、後世に神殿の遺跡のそばから教会の建物が発掘されています。
サルディスとは、「逃れる者」、「逃れ出る者」という意味で、「暗黒時代の教会」からの分離を暗示しています。これは、「宗教改革時代の教会(16世紀~17世紀)」の型です。
『神の七つの御霊と七つの星を持つ方』とキリストの自己紹介があります。聖霊と七つの教会の守護天使たちは、キリストの御手の中にあります。キリストは、聖霊を通して教会を支配されるのです。
②賞賛 (3:1)
宗教改革により、救済論が回復されたのは、「正しい行いを生み出した。」と評価され、この教会は、生きているとされています。
③叱責 (3:1~2)
キリストは、この教会は生きているという評判を否定されました。サルディス教会は、他教会からの評価は、極めて高かったのですが、キリストの評価は、『実は死んでいる』というものでした。その理由は、信仰が形式的で、「超自然的ないのちの交流がない」ことにありました。また、「信仰者の義務を果たしていない」ことも指摘されています。
④奨励 (3:3)
『目を覚まし、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。』とあるのは、「最初に聞いたことを思い出し」「それを堅く守り」「悔い改める(霊的命のない状態を悔い改める)」ということです。
目を覚まさなければ、キリストは盗人のように、突然、予期せぬ時に来るので、その時に備えることが大切です。
⑤約束 (3:4~6)
サルディスには、正しい信仰を守った者が幾人かいました。彼らには、白い衣が約束されました。この白い衣は、神の義の象徴です。彼らは、勝利を得る者であり、彼らの名は、いのちの書から消されることがありません。
『耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。』が最後に出て締めくくられています。
※サルディスにある教会から学ぶ教訓
「宗教改革時代の教会(16世紀~17世紀)」の型です。サルディスとは、「逃れる者」、「逃れ出る者」という意味で、「暗黒時代の教会」からの分離を暗示しています。
1517年ルターがヴィッテンベルク城教会の扉に九十五か条の提題を掲げました。1648年 ヨーロッパ諸国の国際会議の始まり(ウェストファリア条約)ました。歴史を見るとカトリック国とプロテスタント国の三十年にわたる戦争もありました。
『教会が生きているように見えるが、実は死んでいる』という視点では、教会は形式主義、儀式主義、世俗的、政治的な組織になっていき、つまり、名目上のクリスチャンが増えたという状況があります。
ヨーロッパでの国家教会、アメリカの植民地での教会、ドイツやスカンジナビア諸国では、ルーテル教会となりました。英国では、聖公会となり、スコットランドでは、長老派教会となり、スイスでは、改革派教会となりました。
宗教改革が回復したのは「救済論」だけです。「イスラエル論」、「預言解釈」、「終末論」などは、回復途上にある聖書的教理です。

(2)フィラデルフィアにある教会(3:7~13)
①宛先(3:7)
フィラデルフィアは、サルディスの南東約45キロメートルに位置し、肥沃な地と農業生産で有名な町です。特にワインで有名で、酒の神ディオニソス(バッカス)が町の主神でした。歴史によると、たびたび、地震に襲われ、数回にわたって町が破壊された記録があります。ヨハネの黙示録が記された時に最も近い地震は、紀元37年でした。
フィラデルフィアとは「兄弟愛」という意味で、「大宣教時代の教会(18世紀~19世紀)」の型です。命名の由来は、ペルガモン王国の第4代国王アッタロス2世が建設した町で、彼は、アッタロス・フィラデルフォス(愛兄王)と呼ばれていました。そこからフィラデルフィアという名前になったのです。
『聖なる方、真実な方』と、キリストの自己紹介があります。キリストは聖なる御方です。つまり、神【主】です。そして、真実な方は、神【主】以外にはいないとの宣言です。
『ダビデの鍵を持っている方』とも紹介されています(イザヤ22:22参照)。ヨハネの黙示録1:18では、『死とよみ(ハデス)の鍵を持っている』方と紹介されていました。イザヤ22:22では、ヒルキヤの子エルヤキムにダビデの家の鍵が与えられ、彼は、王の財宝に自由に近づくことができました。これと同じように、キリストは霊的な富に自由に近づくことができることを表現しています。
『彼が開くと、だれも閉じることがなく、彼が閉じると、だれも開くことがない。』については、キリストは絶対的な権威を持った御方です。伝道の扉を開くのは、キリストご自身で、キリストが開いた扉を閉じる者は誰もいないのです。
②賞賛(3:8~9)
キリストは、この教会の信徒たちの行いを知っておられました。
黙3:8の訳文の比較してみましょう。
*『あなたには少しばかりの力があって、』(新改訳2017、新改訳第3版)
*『あなたは力が弱かったが、』(新共同訳)
*『あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、』(口語訳)
口語訳の翻訳が現実に近いと考えられます。これは、信仰者の姿とも重なる部分があります。ワインで有名で、偶像の宮があるこの地で、この教会は、町の中では影響力が小さかったのでしょう。想像するに、信徒たちはこの繁栄した階層から見下されている下層階級の出身だったのかも知れません。それにもかかわらず、彼らはキリストの言葉を守り、信仰を捨てなかったのです。
信仰者は、『弱い時にこそ【主】にあって強い。(2コリント12:9~10)』そこには、キリストの力が働くからです。この要素は、21世紀に生きる信仰者にも、適用可能です。
キリストは、彼らが忠実であったので、彼らのために門を開かれました。これは、伝道の門、つまり、神への奉仕の門なのです。誰も、この門を閉ざすことはできません。
彼らに立ちはだかった敵は、当時の状況では、不信仰なユダヤ人たちでしょう。「サタン(悪魔)の会衆に属する者、すなわち、ユダヤ人だと自称しているが、実はそうではなく、嘘を言っている者たちに、わたしはこうする。」と記されているのは、主イエスを拒否したユダヤ人たちは、無意識のうちにサタン(悪魔)の手先となったからです。
いつの時代にも真理を阻んだり、曲げたりする勢力が登場しますが、キリスト教を装ったカルト的な動きと考えられます。
そのような状況でも、彼らの敵は、「やがて真理を認めるようになる」というのです。それは、彼らの敵は、キリストが彼らを愛していることを知るようになるからと記されています。【主】は、ユダヤ人だけでなく異邦人も愛しておられます。これは、使徒の働き15章のエルサレム会議で『信仰と恵みによって異邦人も救われると確認され』、明らかになった真理なのです。
③叱責
叱責の言葉がありません。スミルナの教会の場合も、叱責の言葉はありませんでした。
④奨励
奨励の言葉もありません。ほめられ、約束の言葉が与えられているだけです。
⑤約束(3:10~13)
『全世界に来ようとしている試練の時には、わたしもあなたを守る』とは、ヨハネの黙示録6~19章の大患難時代「the hour of trial」からの守りの約束です。
フィラデルフィアの教会は、13世紀まで小アジアにおける宣教の拠点として生き延びました。今日でも、少数のクリスチャンが住んでいますが、迫害を恐れて、身を隠している状態です。
『わたしはすぐに来る。』とは、「すぐに、そして、突然来る。」という意味です。ですから、今持っている信仰を持ち続ける必要があるということです。
『勝利を得る者を、わたしの神の神殿の柱とする。』は、比ゆ的言葉で、この町の偶像の宮では、貴族の名が刻まれた柱が建てられていたことに由来した表現です。柱は、力、栄誉、永遠の保証のしるしです。地上の神殿の柱はやがて倒れますが、信仰者は永遠に倒れないのです。
信仰者の上には、三つの新しい名が記されます。名を記すことは、所有権を表す行為です。『神の御名』、『新しいエルサレムの御名』、『キリストの新しい名(キリストのご性質の全貌を意味)』、この三つと信仰者は、一体化しているのです。
ここでも、『耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。』が、勧告として出ています。
※フィラデルフィアにある教会から学ぶ教訓
フィラデルフィアとは「兄弟愛」という意味で、この教会は、「大宣教時代の教会(18世紀~19世紀)」の型です。1648年(ウェストファリア条約)~1900年頃ということもできます。この時代に活躍した有名な宣教師たちは、ウィリアム・ケアリ(インドで奉仕したイギリス人宣教師)、アドニラム・ジャッドソン(ビルマで奉仕した米国人宣教師)、ハドソン・テーラー(中国で奉仕したイギリス人宣教師)などです。18世紀~19世紀の200年間、世界中で宣教師たちに閉ざされた国はほとんどありませんでした。キリストが門を開いた宣教の時代でした。
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