ヨハネの黙示録4章に関するトピックス
◆信仰は、支えであり、葛藤でもある(ヘブル11:33~40)。
宗教と政治の距離感については、さまざまな課題があり、どのような状態がベストなのかは、なかなか解決策が見出せません。やがて、世界を統一するような宗教形態がカタチになっていくと預言されています。
私は、以前から、宗教や政治と切り離した形で、「一個人の自由意志による信仰」として、福音の提示をしています。キリスト教に限らず、人間はなんらかの信仰を持っています。また、それは、信仰の対象が変わらなくても、本質の部分では変化をし続けていると考えています。
ヘブル書の11章は、信仰者が紹介されている箇所です。しかし、この箇所は、受け止める人の軸足の位置によっては、理解し難いと推察します。
『めぐみの時代』のキリスト教信仰の土台は、創造主である神【主】との約束(契約)です。その内容は、最初の人間アダムが犯した「罪」を唯一無二の義人『イエス・キリスト』が全人類にかわって背負い、十字架に架かり全血をもって贖い、死に、墓に葬られ、三日目に復活をされたことを信じることにより、その十字架の贖いが、信仰者に適用されるというものです。それにより、人間は、基本的に肉体的死は回避できなくても、霊的死を回避し、永遠なる生命を確約されるのです。つまり、信仰者にとっては、肉体的死が永遠の不幸を決するのではなく、かえって永遠の幸福の扉が開かれることになるのです。
その信仰者の先輩たちには、それぞれに使命が与えられていました。
『国々を征服』『正しいことを行い』『約束のものを手に入れ』『獅子の口をふさぎ』『火の勢いを消し』『剣の刃を逃れ』『弱い者なのに強くされ』『戦いの勇士となり』『他国の陣営を敗走させた。』『女たちは、死んだ身内の者たちをよみがえらせていただきました。』
と紹介されている一方、
『ほかの人たちは、もっとすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを拒んで拷問を受け』『ほかの人たちは嘲られ、むちで打たれ、さらに鎖につながれて牢に入れられる経験』『石で打たれ、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され』『羊ややぎの皮を着て歩き回り、困窮し、圧迫され、虐待されました。』『彼らは荒野、山、洞穴、地の穴をさまよいました。』
『これらの人たちはみな、その信仰によって賞賛されましたが、約束されたものを手に入れることはありませんでした。』とも紹介されています。
信仰者は、自分がイメージする良い結果を得るために使命を与えられているわけではありません。自分の行き先が、『永遠なる生命(永遠の幸福)』である『いのちの保証』を確信して、それぞれに与えられている役割に生きているのです。
◆エデンについて…
『宝石の園エデン(エゼキエル28章)』 『植物の園エデン(創世記)』
エデンの園と聞くと、アダムとエバが置かれていた地上の楽園をイメージします。それは、『植物の園エデン』です。その前の時代について、エゼキエル28章に記されています。それが、『宝石の園エデン』です。これは、悪魔(サタン)が天使長『暁の子』と呼ばれていた時のことです。悪魔(サタン)は、【主】の座を狙い、天使の三分の一をそそのかし、天上でクーデターを企ててたのですが、失敗に終わり、その地位を失い、『永遠の火の池』に行くことが確定したのです。『蛇』と呼ばれるのは、頭を潰されても、その長いからだをうねらせて、悪あがきをするからです。それは、ヨハネの黙示録20章まで続きます。
◆二十四人の長老たちとは?…
ペンテコステ以降の信仰者の集合体で、普遍的教会とも表現されます。
彼らは、白い衣を着ていました。『白い衣』は、罪赦された聖徒たちが着る義の衣です。彼らは御使いのような存在ではなく、『信仰による義人たち』です。
彼らは、金の冠を頭にかぶっていました。この冠は、「ステファノス」で、勝利者に与えられる冠です。この冠は、二十四人の長老たちが『褒賞のための裁き』を受けたことを示しています。褒賞のための裁きを受けるのは、聖徒たちだけなのです
長老という言葉が御使い(天使)を指す用例はありません。キリスト教界隈で、長老は、地域教会のリーダーです。
二十四人という人数は、教会全体を指す象徴的数字です。ダビデは、レビ人を二十四の組に分けました(1歴24:3~5参照)。また、ヨハネの黙示録1:6では、信仰者は『祭司の王国』です。そもそも、人間でなければ祭司になれません。
ヨハネの黙示録2~3章は地上の教会について記し、4~5章は、天における教会を描写しています。これは、ヨハネの黙示録3:10のフィラデルフィアの教会への約束(試練の時からあなたを守ろう)が成就していると考えることができます。
◆褒賞のための裁きとは何か?
①ロマ14:8~10
『14:8 私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
14:9 キリストが死んでよみがえられたのは、死んだ人にも生きている人にも、主となるためです。
14:10 それなのに、あなたはどうして、自分の兄弟をさばくのですか。どうして、自分の兄弟を見下すのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つことになるのです。』
②2コリント5:10
『5:10 私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです。』
③1コリント3:11~15
『3:11 だれも、すでに据えられている土台以外の物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。
3:12 だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、藁で家を建てると、
3:13 それぞれの働きは明らかになります。「その日」がそれを明るみに出すのです。その日は火とともに現れ、この火が、それぞれの働きがどのようなものかを試すからです。
3:14 だれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。
3:15 だれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、その人自身は火の中をくぐるようにして助かります。』
これらの箇所から導かれるのは、『信仰者(聖徒)のための裁き』は、『キリストの御座の裁き』です。これは、携挙の後、大患難時代の前に、天において行われます。救われているかどうかを判定する裁きではなく、クリスチャンとしての生き方を判定する褒賞のための裁きです。
二十四人の長老たちは、冠を受け取っていました。そして、彼らは、継続して神を礼拝していました。継続した礼拝は、今から永遠まで続くものです。
※ハーベストタイムミニストリーズメッセージステーション「ヨハネの黙示録(9)【動画はYouTubeにあります。】」を参照してください。
ヨハネの黙示録第4章各節関連箇所一覧
4:1 黙示録7:1、7:9、15:5、18:1。黙示録3:8、19:11、エゼキエル1:1。黙示録1:10、黙示録11:12、黙示録1:19。
4:2 黙示録1:10、エゼキエル11:24。1列王22:19、イザヤ6:1、エゼキエル1:26、ダニエル7:9。
4:3 『その方』直訳『着いている方』、黙示録21:11、21:18-19。黙示録21:20。黙示録21:19。黙示録10:1、エゼキエル1:28。
4:4 黙示録11:16。黙示録3:5、詩篇21:3、ゼカリヤ6:11。黙示録5:6、5:8、5:14、19:4。黙示録11:16、19:4、20:4。
4:5 黙示録8:5、11:19、16:18、出エジプト19:16、詩篇77:18。出エジプト25:37、ゼカリヤ4:2。黙示録1:4。
4:6 黙示録15:2、エゼキエル1:22。黙示録7:17。黙示録5:11、7:11。エゼキエル1:18、10:12。黙示録5:6、5:8、5:14、6:6、7:11、14:3、15:7、19:4、エゼキエル1:5。
4:7 エゼキエル1:10、10:14。
4:8 イザヤ6:2。黙示録14:11。イザヤ6:3。黙示録1:8、黙示録1:4。
4:9 黙示録7:12。黙示録4:2、イザヤ6:1。黙示録1:18、申命記32:40、ダニエル4:34、12:7。
4:10 黙示録4:4。黙示録4:2。黙示録5:8、5:14、7:11、11:16、19:4。黙示録1:18。黙示録4:4。
4:11 黙示録19:6。黙示録5:9、5:12。黙示録7:12、詩篇29:1。エペソ3:9、コロサイ1:16。創世記1:1。
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