ヨハネの黙示録第9章スタディーノート

ヨハネの黙示録9章『ラッパの裁き 第五から第六』
9:1~2 第五のラッパが吹かれる … 第一の災い 天から落ちた一つの星
9:3~6 穴から出てきた悪霊ども
9:7~11 悪霊どもの描写
9:12 これから来る二つのわざわいの裁き
9:13~15 第六のラッパが吹かれる … 第二の災い 四体の堕天使が解放される
9:16~19 二億の軍勢
9:20~21 悔い改めない人々

ヨハネの黙示録第9章スタディーノート
(1)第五のラッパが吹かれる :天から落ちた一つの星(9:1~2)
 第五のラッパの裁きは、第一のわざわいの裁きです。ここから、神の裁きが劇的に激しくなるので、『わざわい』と呼ばれています。ギリシャ語の「ウーアイ」(英語のwoe, alas)が使われ、これまでで最悪の裁きが始まるのです。
 『第五の御使いがラッパを吹』くとヨハネは、『一つの星が天から地に落ちるのを見た。』
 星が地に落ちるというのは、「第六の封印の裁き(6:12~17)」や『第四のラッパの裁き(8:12)』で起きます。しかし、ここでの『星』は、実際の星ではなく、悪魔(サタン)を意味します。ここで使われている『落ちる』は、完了形の動詞(ギリシャ語)で、すでに落ちて、その状態が継続しているという意味なのです。
 『10:18 イエスは彼らに言われた。「サタン(悪魔)が稲妻のように天から落ちるのを、わたしは見ました。ルカ10:18新改訳2017』このイエスのことばは、預言的なものです。
 ヨハネの黙示録12:9では、サタン(悪魔)が大患難時代に地上に落とされることを示しています。『12:9 こうして、その大きな竜、すなわち、古い蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれる者、全世界を惑わす者が地に投げ落とされた。また、彼の使いたちも彼とともに投げ落とされた。』サタン(悪魔)は、「大きな竜」、「古い蛇」、「悪魔」など様々な呼び名を持っています。
 『その星には、底知れぬ所に通じる穴の鍵が与えられた。』とあります。
『その星には』(新改訳2017)=「to him」(KJV、ASV)です。『底知れぬ穴(底知れぬ所に通じる穴)』(新改訳)=アブソス(ギリシャ語)ですから、「アブソス」と固有名詞を置いた方が理解しやすいでしょう。そこは、悪霊どもが閉じ込められている場所です。悪魔(サタン)に「アブソス」を開く鍵が与えられます。つまり、閉じ込められている悪霊どもを解放する力が与えられるのです。
 悪魔(サタン)が、その鍵を用いて、「アブソス」に閉じ込められていた悪霊どもを解放すると、『穴から大きなかまどの煙のような煙が立ち上り、太陽と空はこの穴の煙のために暗くなった』とあります。この立ち上った煙は、霊的堕落を暗示しています。また、太陽と空は、この煙によって暗くなるのです。このことから、第五のラッパの裁きの内容が、悪魔(サタン)と悪霊どもの攻撃であることが明らかにされました。

(2)穴から出てきた悪霊ども(9:3~6)
 『その煙の中からいなごが地上に出て来た。』とありますが、これは、通常のいなごではありません。『地のサソリが持っているような力が与えられた』とありますが、いなごには、サソリのような力はありません。この「いなごの大軍」は、悪霊どもなのです。
 悪霊どもを「いなご」に例えることには、聖書的背景があります。聖書時代だけでなく、21世紀の時代においても、いなごの害は恐れられています。大きないなごの大群が大発生し、緑色の植物を食い尽くし、その地に飢饉をもたらすことがあります。かつて神は、いなごの害を用いてエジプトを裁かれました(出エジプト10:12~20)。また、預言者ヨエルは、いなごの害と神の裁きを関連づけています(ヨエル1:4~7)。
 悪霊どもは、『地の草やどんな青草、どんな木にも害を加えてはならない』と言い渡されました。【主】が命じたのです。これは、通常のいなごの動きとは異なります。でも、『額に神の印を持たない人たちには加えてよい』と『その人たちを殺すことは許されなかったが、五か月間苦しめることは許され』るのです。
 第一から第四のラッパの裁きでは、自然環境が害を受けましたが、人間に直接的な害が及ぶようになるのです。これは、【主】に対して不信仰な人間の上に下る裁きです。人間を殺すことは許されず、苦しめるだけで、「サソリが人を刺したときの苦痛のよう」な状態が五か月の間続くというのです。この期間は文字通り、百五十日間続くと解釈した方がスムーズです。通常は、いなごは5月から9月にかけての五か月間に活動します。期間は、それに符合しているのではないでしょうか。
 このわざわいからは十四万四千人のユダヤ人と、彼らの伝道によって救われた人たちは守られます。額に押された神の印は、目に見えるものではないのです。
 『人々は死を探し求める』とあるのは、それくらいの苦しみを経験するのです。これは、精神的、かつ肉体的苦痛で、『死ぬことを切に願うが、死は彼らから逃げて行く』とあるように、死を願っても、死ぬことを許されない状態に置かれるのです。悪霊の支配下にある人々は、自由に行動することができないのような状態になるということです。

(3)悪霊どもの描写(9:7~11)
 悪霊どもには肉体はありません。ヨハネは、『○○のようであった』という表現を多用しています。この幻は、悪霊どもが勝利者となることを描写しています。神による制約がなくなると、悪魔(サタン)と悪霊どもは、その実相を表すのです。
 悪霊どもは、『出陣の用意の整った馬に似ていた。』と描写されています。悪霊どもは、人々を苦しめるために出て行こうとしていて、人間と動物を合わせたような恐ろしい形状をしています。
 ヨハネは自分が見た幻を描写していますが、その意味を理解できなかったことでしょう。この幻は、悪魔(サタン)と悪霊どもが【主】に対して不信仰者な人間に、持っている恐ろしいほどの力を示しています。
 悪霊どもには、王がいて、『ヘブル語でアバドン、ギリシャ語でアポリュオン。』共に、「破壊者」という意味です。つまり、人間の「魂」を破壊する者で、悪魔(サタン)なのです。
『11:14 しかし、驚くには及びません。悪魔(サタン)でさえ光の御使いに変装します。(2コリント11:14新改訳2017)』
 悪魔(サタン)の変装技術は相当なもので、現代において、悪魔(サタン)はたびたび天使に変装します。大患難時代になると、その仮面を取って本来の姿を現すようになるのです。

(4)二つのわざわいの裁き(9:12)
 三つのわざわいの裁きの予告です。
『第一のわざわいは過ぎ去った。』=第五のラッパの裁き
『なお二つのわざわいが来る。』=第六と第七のラッパの裁き
「わざわい」とは、【主】に対して不信仰な人間への大患難時代における裁きです。
 恵みの時代である期間は、悪魔(サタン)と悪霊どもの働きは制限されています。ラッパの裁きにおいては、悪魔(サタン)と悪霊どもの実相が明らかになり、歴史上初めて、不信仰者の全員が悪魔(サタン)と悪霊によって苦しめられるのです。

(5)第六のラッパが吹かれる:四人の天使の解放(9:13~15)
 第六のラッパの裁きがはじまります。
 『神の御前にある金の祭壇の四本の角から、一つの声が聞こえた。』この裁きには、殉教した聖徒たちの祈りへの答えという側面があります。この声は、ラッパを持っている第六の御使いに命じる神の声なのです。
 『大河ユーフラテスのほとりにつながれている、四人の御使いを解き放て。』
 この『四人の御使い』が誰であるかを確定することは、この箇所を理解するために重要です。この『四人の御使い』は、ヨハネの黙示録7章の四人の御使いとは異なります。その理由は、ヨハネの黙示録7章の「四人の御使い」たちは、十四万四千人のユダヤ人たちの額に印が押されるまでは、裁きを開始しないように命じられたからです。
 第六のラッパの裁きの『四人の御使い』は、堕天使たちです。その理由は、聖書には、聖なる御使いが囚われている例は出てこないからです。
 『つながれている』という動詞の時制は完了形であり、ある時点で、何かの罪(【主】に対する不服従)を犯したためにつながれ、その状態が、継続していると考えられます。
 『大河ユーフラテスのほとり』とは、今のイラクです。この地域は、伝統的に多くの偶像礼拝と偽宗教が誕生した場所です。彼らは、やがて東からの侵略軍を指揮するようになります。四人の堕天使たちが解き放たれるのは、第六のラッパの裁きを実行するためです。
 【主】は裁きのタイミングを定めておられます。『その時、その日、その月、その年のために用意されていた』とは、裁きの期間ではなく、【主】の主権を示しているのです。
 『1:17 【主】は大きな魚を備えて、ヨナを呑み込ませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。(ヨナ1:17新改訳2017)』預言者ヨナのケースでは、「大きな魚」は、不従順なヨナを裁くために備えられました。
 それと、同じように、四人の堕天使たちは、人類の三分の一を殺すために備えられるのです。『人間の三分の一を殺すため』とあるのは、キリストの再臨の前に起こる出来事の中で、最も悲惨なものの一つです。第四の封印の裁き(ヨハネの黙示録6:7~8)で、人類の四分の一が死にます。ここでは、生き残った「四分の三」の「三分の一」が殺されるのです。「3/4×2/3=6/12=1/2」つまり、半分が死ぬということです。
 ですから、第六のラッパの裁きが終わると、人類は半分しか生存していないことになります。ノアの洪水以降、最大規模の裁きが下るのです。

(6)二億の軍勢(9:16~19)
 『騎兵の数は二億で、私はその数を耳にした』とありますが、人間にとって、その数を数えることが不可能です。ヨハネは、その数を聞いたのです。
 『騎兵の数は二億』を悪霊の軍勢とすることが、正しい解釈だと考えています。第五のラッパの裁きでは、悪霊(いなご)の数は明記されていませんでした。この第六のラッパの裁きでは、『悪霊は二億』と明示されています。
 これを、実際に二億の兵士たちからなる軍勢であると考える人たちがいます。それは、「中国の兵士か。(Time, May 21 1965, p.35)」、「インドの兵士か。」など「新聞記事に基づく釈義」が流布されていますが、正しい解釈は、悪霊の軍勢と考えることが合理的です。
 『彼らは、燃えるような赤と紫と硫黄の色の胸当てを着けており、馬の頭は獅子の頭のようで、口からは火と煙と硫黄が出ていた。』と、騎兵と馬の描写がなされていますが、二億の悪霊どもの軍勢についてです。
 そして、馬の威力が強調されています。
 『彼らの口から出る火と煙と硫黄によって、人間の三分の一が殺された。』とあるのは、三つの災害のことでしょう。『その尾は蛇に似て頭を持ち、その頭で害を加える』と記され、これにより、人類の三分の一が殺されるのです。

(7)悔い改めない人々(9:20~21)
 『これらの災害によって殺されなかった、人間の残りの者たちは、悔い改めて自分たちの手で造った物から離れるということをせず』とあるのは、人類の罪と堕落の深さを示しています。彼らは宗教熱心で、偶像礼拝を継続するようです。その対象は、『悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた偶像、すなわち見ることも聞くことも歩くこともできないもの』を拝み続けるのです。
 大患難時代の前に「ペンテコステ以降の聖徒たちの集合体である教会」が携挙されているので、偽の宗教が蔓延するのです。
 『彼らは、自分たちが行っている殺人、魔術、淫らな行いや盗みを悔い改めなかった。』とあるように、彼らは罪に浸った生活を続けるのです。

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