ヨハネの黙示録第10章スタディーノート

ヨハネの黙示録10章『小さな巻物、世の終わりの宣言』
10:1~4 もう一人の御使い
10:5~7 世の終わりの宣言
10:8~11 小さな巻物を食すヨハネ

ヨハネの黙示録第10章スタディーノート
(1)もう一人の御使い(10:1~4)
 『もうひとりの強い御使い』と出てくるのは、同質の別のものという意味の「アロス(ギリシャ語)」が使われています。つまり、これまでに登場した御使いたちとは別の御使いです。第六のラッパを吹く御使いはヨハネの黙示録9:13に登場し、第七のラッパを吹く御使いは、ヨハネの黙示録11:15に登場します。
 この御使いは、ミカエルでしょう。ヨハネの黙示録12章では、ミカエルという名が出ています。また、ミカエルは、悪魔や悪霊どもと戦いますから、ヨハネの黙示録10章の御使いも、天使長ミカエルに違いないでしょう。この御使いは、偉大な権威と任務を委ねられた御使いです。【主】は、ご自身の計画を実行するために御使いたちを用いられるのです。
 この御使いについては、キリストであると解釈する人もいます。その風貌、その権威は、キリストであることを示していますが、ヨハネはこの御使いを礼拝していません。ヨハネの黙示録1:17では、ヨハネはキリストを礼拝しています。また、この御使いは、大患難時代の中間期に天から地に降りて来るので、辻褄が合いません。キリストの再臨は、大患難時代が終わってから起こるのです。
 ヨハネは、『その頭上には虹があり、その顔は太陽のよう、その足は火の柱のよう』と絵画的に、この御使いの姿を描写しています。これは、次に出て来る『小さな巻物』を紹介するための準備なのです。
 『小さな巻物』は、すでに開かれています。ヨハネの黙示録5章では、子羊が七つの封印で封印された巻物を持っていましたが封印が解かれるに従って、神の裁きの内容が明らかになる流れです。ヨハネの黙示録10章の『小さな巻物』は、『七つの封印の巻物』とは別のものです。
 『右足を海の上、左足を地の上に置いて』とあるのは、地を支配する権威を示しています。
 『獅子が吼えるように大声で叫んだ』とあるのは、威厳を感じる動物である獅子をイメージしています。
 『七つの雷がそれぞれの声を発した。』は、【主】の裁きの声を雷に例えています。『七つの雷』は、7回裁きの宣言があったということです。詩篇29編には、『【主】の声』が裁きとの関連で7回出て来ます。
 ヨハネは、その内容を理解し、それを書き留めようとしましたが、天からの声は、それを書き留めることを禁じました。
 ヨハネに幻が与えられている理由は、その内容(黙示録)を書き記すためです。【主】は人類に多くのことを啓示されていますが、まだ時が来ていないという理由で、隠しておられることもあるのです。ヨハネの黙示録10章でヨハネが聞いた内容は、彼だけのための啓示であり、他の信仰者への啓示ではないと理解できます。

(2)世の終わりの宣言(10:5~7)
 御使いは、創造主である神【主】を指して誓います。これもまた、この御使いがキリストではないことの証拠です。キリスト(第二位格)は、創造主ですから、矛盾が生じます。
 創造主の描写は、『天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを造って、世々限りなく生きておられる方』と細かくなされています。【主】は、永遠から永遠まで存在し、常にすべてを統治される主権者なのです。信仰者は、その【主】を信頼しているのです。それにより、試練の中でも、【主】にある平安を味わうことができるのです。
 『もはや時は残されておらず、10:7 第七の御使いが吹こうとしているラッパの音が響くその日に、神の奥義は、神がご自分のしもべである預言者たちに告げたとおりに実現する。』は、大患難時代の聖徒たちには励ましの言葉です。もう時は残されていないというのは、期待の瞬間まで、もう少しということです。
 第七のラッパから大患難時代の後半がはじまり、その内容は、七つの鉢の裁きです。
 旧約聖書の預言者たちが預言していたことの中心は、千年王国(メシア的王国)で、それらがすべて成就するのです。それが『神の奥義』の内容です。それを、御使いが創造主である神【主】を指して誓っているのですから信頼できるのです。
 『神は罪人たちを裁かれること』、『キリストが再臨されること』『その後、地上に王国を設立されること』、信仰者は、やがてそこに招き入れられるのだから忍耐しなさいと言われているのです。これは、ペンテコステ以降の聖徒にも適用される祝福です。

(3)小さな巻物を食すヨハネ(10:8~11)
 『前に天から聞こえた声』とは、ヨハネの黙示録4:1の『ここに上れ。この後必ず起こることを、あなたに示そう。』で、その声は、御使いの手から開かれた巻物を受け取るように命じました。これは、【主】の声です。ここでも、ヨハネは、その命令に従います。
 『それを取って食べてしまいなさい。それはあなたの腹には苦いが、あなたの口には蜜のように甘い。』ヨハネは、その声に従って食べましたが、『口には蜜のように甘い』、『腹には苦い』という体験をしたのです。

 ここは、キアズム手法で記され、文学的表現になっています。ヨハネのこの体験には、なんらかの意味があるのは、間違いないですが解説されていません。
 『あなたはもう一度、多くの民族、国民、言語、王たちについて預言しなければならない。』とあるのは、ヨハネは、再度、預言するように命じられました。
 その内容が、ヨハネの黙示録の残りの部分(大患難時代の後半)なのです。

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