サウロの福音理解と宣教の本質 ガラテヤ2:6-7 ロマ1:16

『2:6 そして、おもだった人たちからは──彼らがどれほどの者であっても、私にとって問題ではありません。神は人を分け隔てなさいません──そのおもだった人たちは、私に対して何もつけ加えはしませんでした。
2:7 それどころか、ペテロが割礼を受けている者への福音を委ねられているように、私は割礼を受けていない者への福音を委ねられていることを理解してくれました。 ガラテヤ2:6-7新改訳2017』

『1:16 私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。 ロマ1:16新改訳2017』

サウロは、5歳からヘブル語聖書を学んだと言われています。

パリサイ派の最高峰とされるガマリエルの指導を受け、ラビ的ユダヤ教をたたき込まれていました。

彼が、迫害者になったのは、パズルに例えると、最後の一つのピースが入っていなかったからです。

復活したイエスの光に撃たれたことで、彼はイエスがメシアである事を認め受け入れることになりました。

それにより、イエスとの一体化が成り、完成に至ったのです。

ユダヤ人であれ、異邦人であれ、人間は、「イエスがメシア」である事を受け入れることで完成されるのです。

それは、アブラハム契約の印である割礼とは、また違う一面です。

さらに、口伝律法を守るという形式的な事とも違うのです。

福音について簡潔に述べるならば、「アダムから引き継いだ「罪」を解決するために、唯一の義人であるイエス・キリストが十字架に架かり死に、葬られ、三日目に復活したことによって、全人類に対する救済は完成したのです。それを信じ受け入れる人に適用されるのです。」

しかし、この信仰によりめぐみによって救済される原則は、ユダヤ人も異邦人も共通のステップなのです。

もし、複雑な手続きが必要だとするならば、人間側の問題なのだと考えています。

紀元一世紀に生きていた人たちにとっては、特に戸惑うテーマだったでしょう。

それについて、サウロの福音伝達は、分かりやすく効果的だったのだと、私は考えています。

『9:22 しかし、サウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせた。 使徒の働き9:22新改訳2017』

サウロは、「イエスがキリストであることを証明」したのです。

つまり、「イエス=神の子=キリスト(王)=神」という組み立てをしたのです。

イエスは、救い主であり、やがて、平和の君として、ダビデの王座に着座して、メシア的王国を樹立されるという希望を抱かせたのです。

そして、それに応答した人たちは、永遠のいのちを選択したのですね。

福音の本質は理屈ではなく、永遠への希望と永遠のいのちとの一体化です。信仰者は、罪に取り憑かれた肉体を脱いで、永遠の御国へと導かれるのです。それこそが「永遠の幸福マインド」です。

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