視点を常にニュートラルに修正 箴言18:5
『18:5 悪しき者をえこひいきすることも、正しい人をさばきで退けることも良くない。 箴言18:5新改訳2017』
権力者が、自分勝手に振る舞えないように、「三権分立制度」があります。
しかし、近年、その歪みが、よく見えるようになっています。
特に、2000年以降、その傾向が強くなって来ているように感じます。
USAの状況を見ているとその変化を見ることができ、また、それは、一国に留まらず、世界も連動していると考えないと理解が難しいと、私は考えています。
2025年から、良い方向性も見えだしているので、より良い世の中になれば有難い事だと考えています。
聖書的には、大患難時代が到来し、その後、この地上で千年王国があるのだと認識していますが、前から述べているように、その前にひと時でも、穏やかであってほしいと願います。
近年は、特に明らかに違法な事でも、正当化されたりしました。
逆に、冤罪事件も多々あると推察します。
違法行為に巻き込まれて、命を絶たれた方もいます。日本では、自殺とされる中の多数が、本当は違うのではないかと指摘されています。闇が深い領域の話ですね。
冒頭の箴言は、人間に取っては、「基本のキ」ですが、あえて、記されている理由があるのでしょう。
人間は、自己正当化するために、責任転嫁したりします。
また、自分で、努力できる範囲まで、誰かに依存しようとします。
それは、自立の精神を拒否するかのような方向性の選択です。
21世紀の今、人間は便利な生活をしています。しかし、その本質は変わらず、ワルさが強くなっている傾向さえ感じられます。
アダムから引き継いだDNAが為せることなのでしょう。また、そこに感化するサタンの働きも強くなっているようにも感じられます。
まず、自分の立ち位置を確認する必要がありますね。
自分は、「罪」という自分ではどうすることもできない性質を抱えています。それを救済するために、御子イエス・キリストが肉体を持って来臨され、十字架刑で身代わりになり、贖罪を完成して下さったことを受け入れ、自分の「罪」を【主】に委ねました。
肉体にある身は、言わば「執行猶予中」です。
時には、失敗をしながら、【主】の愛の深さを実感するのです。
信仰者同士の争いもあります。
冷静に、客観的に振る舞い、相手がどうであれ、【主】にあって揺るがされない自分を確認していきたいところです。 裁き心から距離を置くことが課題だと感じています。
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