ヨハネの黙示録第18章スタディーノート

ヨハネの黙示録18章『大患難時代の後半における世界統一政府 反キリストが王となる政治的・経済的バビロン(時系列では15章~16章の時期)』
18:1~3 大バビロン崩壊の宣言
18:4~5 大バビロンからの脱出
18:6~8 大バビロンの罪の糾弾
18:9~19 大バビロンの崩壊を嘆く人たち
18:20 大バビロンの崩壊を喜ぶ人たち
18:21~24 大バビロン崩壊の描写

                        ヨハネの黙示録第18章スタディーノート

※この章は、大患難時代の後半の大バビロン(経済的・政治的バビロン)の再記述描写。
(1)大バビロン崩壊の宣言(18:1~3)
 『その後』とは、18章の啓示は、17章の啓示の後に来るもので、大患難時代後半のバビロンの状況に移行するということです。
 『もう一人の御使い』とあるのは、17章のとは別の御使いで、『大きな権威を持って天から下って来る』のをヨハネは見せられました。そうすると『地はその栄光によって照らされた』とあります。御使いは、【主】の代理人として、大バビロン崩壊の宣言という大きな任務が与えられているのです。
 御使いと栄光の関係は、御使いが持つ栄光ではなく、【主】の臨在の場から下って来たことによる栄光です。出エジプト時代のモーセが似たような体験をしています(出34:29)。蓄光的なもので、時間が経つとだんだんと光が失われていくイメージです。
 『倒れた』が二度くり返されます。これは、【主】の裁きは確実に下ることを意味しています。つまり、大バビロンの崩壊は、徹底したものなのです。この強調表現は、将来のことが、「すでに成就している事実」として語られています。
 裁きを受けたバビロンの状態が預言されます。
 『悪霊の住みか、あらゆる汚れた霊の巣窟、あらゆる汚れた鳥の巣窟、あらゆる汚れた憎むべき獣の巣窟』とあるのは、バビロンは、悪霊どもの住みかとなるということです。
 余談ですが、千年王国の期間、悪魔(サタン)は『底知れぬ所』(アビス)に投げ込まれます(ヨハネの黙示録20:2~3)。
 そして、千年王国の期間、悪霊どもは2箇所に閉じ込められます。それは、バビロンとエドム(イザヤ34:8~16)なのです。
 『御怒りを招く彼女の淫行のぶどう酒を飲み』とあるのは、ヨハネの黙示録17:2と似ています。そこでの「不品行」とは、霊的姦淫でした。ここでは、【主】に敵対する「物質主義」のことを意味しています。これが、経済的・政治的バビロンが行う罪なのです。
 地上のすべての民が、【主】に敵対する物質主義に征服されるのです。それは、『すべての国々の民』、『地の王たち』で、『地の商人たちは、彼女の過度のぜいたくによって富を得た』と、物質主義に飲み込まれるのです。そして、ついに、【主】の裁きの時は満ちるのです。

(2)大バビロンからの脱出(18:4~5)
 『もう一つの声』は、神の民(ユダヤ人)は、バビロンを脱出するべきだと言います。その理由は、『バビロンの罪の影響を受けないため』であり、「バビロンに下ろうとしている裁きから免れるため」でもあります。

(注)旧約聖書にある【主】からの退避勧告:イザヤ48:20、エレミヤ50:8、創世記19:12~13(ソドムを去れという警告がロトに与えられた)

 バビロンを去らなければならない理由は、『バビロンの罪が充ち満ちたから』で、「神は、バビロンの不正を覚えておられ」、これ以上、バビロンの不正を見逃すわけにはいかない状況になるからなのです。

(3)大バビロンの罪の糾弾(18:6~8)
 「同害刑法(復讐法)(lex talionis)」の命令です。古代世界では、「同害復讐法」というものがありました。

『7:2 あなたがたは、自分がさばく、そのさばきでさばかれ、自分が量るその秤で量り与えられるのです。(マタイ7:2新改訳2017)』

『6:7 思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。(ガラテヤ6:7新改訳2017)』

 しかし、バビロンの罪は大きいので、その報いは行ったことの二倍になるのです(旧約の復讐法)。次に列挙するのは、二倍返しに関する聖句です。

『22:4 もしも、牛であれ、ろばであれ、羊であれ、盗んだ物が生きたままで彼の手もとにあるのが確認されたなら、それを二倍にして償わなければならない。(出エジプト22:4新改訳2017)』

『40:2 ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがはすでにゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を主の手から受けた」。(イザヤ40:2(口語訳)新改訳2017)』

『9:12 望みを持つ捕らわれ人よ、砦に帰れ。わたしは今日もまた告げ知らせる。二倍のものをあなたに返す、と。(ゼカリヤ9:12新改訳2017)』

 世界中の民が、反キリストに従い、物質的に豊かになるのです。彼らは、超えてはならない一線を越えるのです。ですから、彼らが神の義によって厳しく裁かれるのは、当然のことなのです。
 バビロンの傲慢が、ついに裁かれます。『私は女王として座し』とは、自己認識が間違っています。【主】の視点から見れば哀れな状態なのです。
 『やもめではない。だから悲しみにあうことはない』とは、諸国の王たちと政治的・経済的な物質主義に溺れている状態で、その不法な関係(不品行)を誇っているのです。
 『一日のうちに』裁きは来ると言うのです。ギリシャ語では、『一日』が文頭に来ていて強調表現がなされています。
 その裁きの結果は、『さまざまな災害、死病と悲しみと飢え』が襲い、経済的・政治的バビロンは、火で焼き尽くされ、千年王国の間、悪霊の住みかとなるのです。この裁きを通じて、【主】こそ主権者であることが明らかになるのです。

(4)大バビロンの崩壊を嘆く人たち(18:9~19)
王たち
 『彼女と淫らなことを行い、ぜいたくをした地の王たち』とは、ヨハネの黙示録17:16に登場する十人の王たちよりも広い意味での王たちです。不品行、好色とは、反キリストと親密な関係にあったことを示す言葉です。この18章での大バビロンは、神に敵対する経済的・政治的システムを意味します。地上の王たちは、その関係(システム)によって莫大な利益を得ます。
 王たちは、大バビロンが火で焼かれる煙を見ます。大バビロンが、火によって破壊されるのを王たちは、泣き(大声を上げて)、悲しむのです。同時に、大バビロンの崩壊は、反キリストの滅亡を意味します。王たちは、反キリストから富と権威を受けるので、彼らの嘆きは極めて利己的なものです。
 また、王たちは、非常に恐れています。『彼らは遠く離れて立ち、彼女の苦しみに恐れをなして』とあるのは、自分も裁きに巻き込まれることのないようにするためです。
 この時までの大バビロンは非常に力強い都なのですが、大バビロンよりも力強い御方がおられることが明らかになるのです。
 『わざわいだ、わざわいだ』と二度くり返されているのは、大バビロンの崩壊は、確実で、徹底的なものだと言うことです。その大バビロンの崩壊は、瞬時に起こるのです。

商人たち
 政治と経済は、密接に結びついていて、政治が崩壊すれば、経済不況がやって来るものです。

『13:17 また、その刻印を持っている者以外は、だれも物を売り買いできないようにした。刻印とは、あの獣の名、またはその名が表す数字である。(ヨハネの黙示録13:17新改訳2017)』

 この獣の刻印(666)によって、富を独占してきた商人たちは、大バビロン崩壊により、そのシステムが機能しなくなり、反キリストに従う者たちは、経済活動ができなくなるのです。
 大バビロン崩壊の前まで、国際貿易が活発に行われます。その商品が列挙されています。それは、富のある国が所有する代表的な商品で、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、香木、さまざまの象牙細工、高価な木や銅や鉄や大理石で造ったあらゆる種類の器具、肉桂、香料、香、香油、乳香、ぶどう酒、オリーブ油、麦粉、麦、牛、羊、れに馬、車、奴隷、また人のいのちなどです。
 奴隷の存在は、今日でも、多くの奴隷があり、大患難時代にまで続くのです。
 美食家が渇望する食物はなくなり、豪華な衣装も取り去られるのです。
 商人たちは、大バビロンとの取引によって富を得るのですが、彼らは、かつてなかった経済不況に直面し、泣き悲しみます。彼らは、『遠く離れて立ち、泣き悲しんで言う』。そして、『わざわいだ、わざわいだ』とくり返し叫ぶのです。
 『大きな都よ。亜麻布、紫布、緋色の布をまとい、金、宝石、真珠で身を飾っていたが、あれほどの富が、一瞬にして荒廃に帰してしまった。』とあるのは、ヨハネの黙示録17:4の宗教的バビロンの描写と似ています。遊女が着飾って、男を誘惑する様が描かれています。これが、多くの人の心を掴むほどの魅力だったのです。大バビロンは、富によって商人たちを誘惑するのです。

海で働く者たち
 『すべての船長、その場所を航海するすべての者たち、水夫たち』は、貿易の商品を海上輸送する人たちです。大バビロン崩壊に伴い、輸送する商品がなくなるので、嘆くのです。
 また、海で働く者たちとは、漁師たち、真珠取りたち、なども影響を受けます。それは、自分たちが獲ったものを買ってもらえなくなるからです。彼らもまた、遠く離れて立って、大バビロンの栄華が消え去るのを嘆くのです。
 『頭にちりをかぶり』とは、深い悲しみの表現です。彼らもまた、大バビロンとの取引によって富を得ていたので、一瞬のうちに滅びた大バビロンを見て嘆くのです。彼らの商売も一瞬のうちに消え去るからです。

(5)大バビロンの崩壊を喜ぶ人たち(18:20)
 ここで、地上的視点から、天的視点に移行します。そこには、天にいる神の民は、大バビロン崩壊の宣言を聞いて、大いに喜びます。ついに、『【主】の義が成就』するからです。また、大バビロンが裁かれると、再臨が近いことがわかるからです。
 そこにいるのは、『聖徒たち(すべての信仰者)』、『使徒たち(神の啓示を伝えるための器となった人たち)』、『預言者たち(やはり、神からの啓示の器となった人たち)』で、神の裁きは、この三種類の人たちのために行われるのです。

(6)大バビロンの崩壊の描写(18:21~24)
 『一人の強い御使い』は、『大きいひき臼のような石を取り上げ、海に投げ込んで』とあります。聖書時代のひき臼は、巨大なもので、1トンを超えるものもありましたが、それを海に投げ入れるなら、永遠に失われてしまうのです。大バビロンの崩壊も、それと同じという描写です。
 大バビロンから、生活の営みが消え去ります。音楽家たちがいなくなり、贅沢品を製造する職人たちがいなくなります。そして、食物を生産する音が消え去るのです。ともしびの光が輝かなくなり、結婚式を挙げる者がいなくなります。このようにして、大バビロンは、沈黙の町となるのです。
 大バビロンが裁かれる理由は、彼女が地上のあらゆる人たちを騙すからです。
 もう一つの大バビロンが裁かれる理由は、聖徒たちを殺すからです。『預言者や聖徒たちの血』、『地上で殺されたすべての人々の血』、彼らは、主イエスに対する信仰のゆえに、殉教の死を遂げるのです。
 【主】は、ご自身の義を成就されるのです。これで、キリスト再臨の舞台は整うのです。

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