ヨハネの黙示録第19章スタディーノート

ヨハネの黙示録19章『子羊の婚姻・婚宴、キリスト再臨、白馬の騎手』
19:1~3 天における大群衆の賛美
19:4~5 二十四人の長老と四つの生き物の礼拝
19:6~8 子羊の婚姻(結婚式)
19:9~10 子羊の婚宴(披露宴)
19:11~13 白い馬に乗った方の啓示
19:14~18 キリストの再臨
19:19~21 ハルマゲドンの戦い

                        ヨハネの黙示録第19章スタディーノート

※ここでは、天での情景を紹介する所からはじまります。それは、地上で起きることとの対比になっています。また、創造主である神【主】の勝利は確定的である宣言でもあります。
(1)天における大群衆の賛美(19:1~3)
 『その後』とは、大バビロンの崩壊後のことです。そして、キリストの再臨前のことです。その間に、いくつかのことが起きます。
 天で大群衆が【主】の栄光を称えます。これは、『第一のハレルヤ』です。
 大バビロンが滅ぼされるのです。宗教的大バビロンのことで、この勢力は、多くの聖徒たちの血を流すので、大バビロンの滅びは、【主】による報復なのです。
 この時に、ヨハネの黙示録6:10での大患難時代における殉教者たちの祈りが聞き届けられるのです。
 3節では、『第二のハレルヤ』が叫ばれます。大群衆が、再び声を上げます。これは、経済的・政治的大バビロンに関する宣言です。大バビロンは、【主】の正義によって滅ぼされるのです。この煙は、大バビロンが焼かれる煙で、この滅びが永遠であることを示しています。このように、【主】の敵は、永遠に滅ぼされるのです。

(2)二十四人の長老と四つの生き物の礼拝(19:4~5)
 『二十四人の長老たちと四つの生き物』について、ヨハネの黙示録4:9~10に記されています。これは、七つの封印を開く前の天の様子で、四つの生き物は、セラフィムであり、二十四人の長老は、携挙された教会です。彼らは、【主】を礼拝しています。
 これが、『第三のハレルヤ』であり、彼らは、天から大患難時代の様子を目撃しています。
 5節の『この声』は、御使いの声で、すべての人を礼拝へと招いています。『神のすべてのしもべたちよ、神を恐れる者たちよ、小さい者も大きい者も私たちの神を賛美せよ。』とあり、「賛美し続けよ」という命令なのです。

(3)子羊の婚姻(19:6~8)
 6節の大群衆の声が、『第四のハレルヤ』です。『ハレルヤ。私たちの神である主、全能者が王となられた。私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。』と子羊の婚姻を喜ぶハレルヤなのです。
(新共同訳)では、『ハレルヤ、全能者であり、わたしたちの神である主が王となられた』と翻訳されています。この全能者(the Almighty)は、ヨハネの黙示録ではよく出てくる【主】のタイトルです。

 訳文を比較すると、次のようになります。
『私たちの神である主、全能者が王となられた』(新改訳2017)
『万物の支配者である、われらの神である主は王となられた』(新改訳)
『全能者であり、わたしたちの神である主が王となられた』(新共同訳)
『全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる』(口語訳)
『全能の主、われらの神は統治(すべし)らすなり』(文語訳)

 創造主である神【主】は、常に主権者であり、全能者です。これは、ヨハネの黙示録の主旋律です。
 その事実が、より明らかになろうとしているのです。それは、『御心が天に成るごとく、地でもなろうとしている』のです。
 創造主である神【主】の統治は、千年王国の形を取るようになります。再臨のキリストは、エルサレムから、ダビデの王座に就いて統治されます。これは、2サムエル7:12~13の『ダビデ契約の成就』なのです。
 7節で、天にいる人たちは、喜び楽しみ、【主】をほめたたます。その理由は、子羊の婚姻が近いからです。
 『花嫁は用意ができた』というのは、花嫁とは、『ペンテコステ以降の聖徒の集合体である教会(普遍的教会)』で、花婿とは、『子羊であるイエス・キリスト』なのです。このキリストと教会の関係が、結婚に例えられるのです。キリストを信じた人は、その瞬間に花嫁の一部となるのです。
 8節では、『花嫁は、輝くきよい亜麻布をまとうことが許された』とあります。婚姻は、『キリストの御座の裁き(信仰者の報償)』の後で行われます。天に挙げられた聖徒たちは、栄化され【主】の栄光を反映させている状態です。それは、罪がすべて処理され、罪とは無関係の栄光の復活の体を与えられています。
 『その亜麻布とは、聖徒たちの正しい行いである』とあるのは、『行い』はギリシャ語の複数形が使われていて、これは、信仰による義のことではなく、『義とされた者が、神の恵みによって為した正しい行い』を意味しています。

(4)子羊の婚宴(19:9~10)
 子羊の婚宴が行われます。その時期は、千年王国が設立される前に地上で行われます。この箇所では、招待客は招かれているだけで、婚宴はまだ始まっていません。この招待客とは、ペンテコステ以前に救われたすべての信仰者たち、大患難時代に殉教の死を遂げた聖徒たちです。
 ペンテコステ以前に救われたすべての信仰者たちとは、聖霊降臨によって教会が誕生する前の信仰者たちです。彼らは、復活の体を持って千年王国に入るのです。バプテスマのヨハネもこの中に入っています。(「花婿の友人(ヨハ3:27~30)」)
 大患難時代に殉教の死を遂げた聖徒たち、彼らもまた、復活の体を持って千年王国に入るのです。
 『これらは神の真実なことばである』とあるように、【主】が語られたことばは、すべて成就するのです。
 10節で、ヨハネは、『御使いの足もとにひれ伏して、礼拝しようとした』とあります。御使いは、それを禁じました。その理由は、御使いもまた、神に仕えるしもべだからです礼拝されるべき御方は、【主】だけなのです。
 『イエスの証しは預言の霊なのです』とあるのは、聖書にある預言は、イエス(第二位格)を証しするものであり、その預言を与えたのは、聖霊(第三位格)です。そして、21世紀の今も聖霊は、イエス・キリスト(第二位格)を証しするために働いておられるのです。

(5)白い馬に乗った方の啓示(19:11~13)
(口語訳)では、『またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた』とあります。イエスがバプテスマを受けた時、天が開かれて聖霊が鳩のように下りました(マタイ3:16~17)。ここでは、天が開かれて再臨のメシアが地に下ってこられるのです。
 ヨハネの黙示録4:1では、ヨハネを招くために天が開かれたのですが、ここでは、キリストが地に下るために天が開くのです。
 『白い馬…に乗っている方』とあるのは、再臨のキリストは、天の軍勢の将軍として白い馬に乗られます。かつて、ローマ軍の将軍は、白い馬に乗ったと言います。初臨のキリストはロバの子(平和の象徴)に乗られましたが、再臨のキリストは白い馬(戦い、勝利の象徴)に乗られるのです。
 『確かで真実な方』とは、キリストは、『ご自身の約束に忠実で真実な御方』だということを意味しています。ヘブル的には、名前やタイトルは、その人の実質を表すのです。

『24:30 そのとき、人の子のしるしが天に現れます。そのとき、地のすべての部族は胸をたたいて悲しみ、人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。(マタイ24:30新改訳2017)』

 反キリストは、契約を破る不真実な者です。
 『義をもってさばき、戦いをされる』とあるのは、キリストは、すべての敵を滅ぼされます。この戦いは、反キリストと悔い改めない罪人に対する【主】の怒りの表現なのです。
 『その目は燃える炎のようであり(12節)』とあるのは、キリストは、すべてのことを見抜かれる御方であるという意味です。
 キリストが再臨された時、すべてのことが明るみに出されるのです(ヨハネの黙示録1:14)。
 『その頭には多くの王冠があり』とあるのは、王がかぶる王冠(ダイアデム)を意味しています。キリストは『王の王』だからです。キリストの権威に挑戦できる者は、誰もいないのです。
 『ご自分のほかはだれも知らない名が記されていた』とあるのは、キリストは、筆舌に尽くし難い御方なのです。その御名はまだ啓示されていません。
キリストの実際の名は、『神のことば』です。

『1:1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。(ヨハネ1:1新改訳2017)』

 『その方は血に染まった衣をまとい』とあるこの血は、イエスご自身の血ではなく、敵の血です。イザや63:1~6を参照すると、『エドムから来る者、ボツラから深紅の衣を着て来るこの者』とあり、酒ぶねを踏んだので着物は赤くなるという預言です。
 キリストは、裁き主として戻って来られ、敵(反逆者)の血が流されることの予告なのです。

(6)キリストの再臨(19:14~18)
 『軍勢』はギリシャ語の複数形が使われています。二つの軍勢が再臨のキリストにつき従います。しかし、敵と戦うのは、キリストだけなのです。
 御使いたちの軍勢については、次の箇所に記されています。

『16:27 人の子は、やがて父の栄光を帯びて御使いたちとともに来ます。そしてそのときには、それぞれその行いに応じて報います。(マタイ16:27新改訳2017)』

『25:31 人の子は、その栄光を帯びてすべての御使いたちを伴って来るとき、その栄光の座に着きます。(マタイ25:31新改訳2017)』

『1:7 苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えることです。このことは、主イエスが、燃える炎の中に、力ある御使いたちとともに天から現れるときに起こります。(2テサロニケ1:7新改訳2017)』

 聖徒たちの軍勢については、『白くきよい亜麻布を着て』とあります。ヨハネの黙示録19:8では、同じ言葉がキリストの花嫁に用いられています。
 15節の『鋭い剣』について剣は、敵を打ち破るキリストの権威を象徴しています。『口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた』とあるので、『【主】の言葉』をもって敵を滅ぼされるのでしょう。
 『鉄の杖』は、キリストの統治は完璧であり、『それに従わない者はいない』という意味です。詩2:9にも同じ表現が出ています。
 『全能者なる神の激しい憤りのぶどうの踏み場を踏まれる』とは、裁きを意味する比ゆ的表現です。この時には、ぶどう液ではなく、裁かれた者の血が流れ出すのです。再臨のキリストは、『裁き主』なのです。
 そして、もう一つの名は、『王の王、主の主(16節)』です。長く待望していたメシアが、ついに来られるのです。

 17~18節では、ハルマゲドンの戦いの前に、空の鳥たちへ宴会の招待状が送られます。太陽の中に立っている一人の御使いが大声で叫ぶ姿をすべての鳥が見ることになるのです。その宴会の内容は、肉を食べることです。王の肉、千人隊長の肉、勇者の肉、馬とそれに乗る者の肉、すべての自由人と奴隷、小さい者と大きい者の肉です。創造主である神【主】に敵対した者たちは、ハルマゲドンの戦いで、殺されるのです。

(7)ハルマゲドンの戦い(19:19~21)
 反キリストとその軍勢は、戦わずしてあきらめることはありません。反キリストは、地上の王たちとその軍勢を招集し、再臨のキリストと戦います。
 ハルマゲドンの戦いに関しては、「ヨハネの黙示録16章に関するトピックス」に詳述してあります。その結末は、馬のくつわに届くおびただしい流血です。
 20節は、ハルマゲドンの戦いの結果です。獣(反キリスト)は、捕らえられ、偽預言者も、獣と一緒に捕らえられます。この二人は、生きたままで『硫黄の燃えている火の池』に投げ込まれます。
 21節では、反キリストの軍勢の残りの者たちは、『再臨のキリストの言葉』によって殺されるのです。これは、異邦人の軍勢の裁きであり、招待されていた鳥たちは、彼らの肉を飽きるほどに食べるのです。

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