あとがき
筆者は、プロテスタント福音派の牧師の三男として育ちました。そこに集う信者の皆様のおかげで成長することができたことを感謝しています。でも律法的な雰囲気と伝統に支配される組織には違和感もあり、ひたすら礼拝・日曜学校・伝道集会・祈祷会・伝道など7日間をくり返していたように思います。
私は、10歳の時に洗礼を受けましたが、その前に、聖書のある箇所が気になりました。それは、イエス・キリストが十字架に架かる前にゲッセマネの園でお祈りをする箇所です。
『それからイエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈られた。「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。」(マタイ26:39新改訳2017)』
それまで、私が認識していた神様は、「祈れば自分の願いを叶えて下さる」というイメージだったからです。
「このイエスは、今まで聞いていたのとは違う」と周囲に疑問を投げかけましたが、腑に落ちる応答はなかったように思います。今から振り返ってみると、我ながら「非常に大事なポイントに気づいていたのだ」という気持ちです。
それは、人間が抱えていた「罪」をどのように救済するかという課題は、神100%であり、人100%であったイエス・キリストであっても、「自らいのちの究極の選択(葛藤)」を迫られていたのです。
御子イエス・キリストが100%義人として、自らを犠牲として、十字架に架かり、死に、贖いを完成してくださったことを信じることで、【主】の前に「無罪」とされること、墓に葬られ、三日目に復活されたことによって、信仰者が永遠の生命に入れられることは、理屈でわかっても、不信や疑念による葛藤が続く内容です。
私は、よりシンプルな聖書理解を模索し、紆余曲折、さまざまな葛藤を経て、【主】にある平安の真意に気づいたのは、受洗から約40年後でした。
私の場合は、【主】に対する信仰からは離れることはありませんでしたが、ギョーカイにおけるさまざまな矛盾による自律神経系の身体反応により、環境を変える必要性が生じました。それが、私のマインドを良い方向へと導く結果になりました。
まるで、【主】の選びの民イスラエルが、出エジプトをしてから約束の地カナンに入るまで、荒野生活40年があったと記してあるように、私の場合も、同じような荒野の40年があったのだと感慨に浸っています。
平安への誘いのもう一つ大きな転機は、ハーベストタイムミニストリーズのフルクテンバウム博士のセミナーです。聖書のヘブル的な解釈による釈義は、それまで触れてきたイスラエルからヨーロッパ経由の聖書知識とは、明らかな違いがあり、正に「目からウロコが剥がされた」思いでした。
ハーベストタイムミニストリーズ主宰の中川健一師のヘブル的視点は、創造主である神【主】が示されている「愛」をプロジェクションマッピングしているように感じられ、自分の中の情報を整理するために、非常に有益な学びの機会となりました。
また心理面では、TCS(トータルカウンセリングスクール)などの学びや実践を通じて、現実と信仰のバランスを探る機会を得たことは貴重な体験であり感謝でした。
くり返しになりますが、人は【主】に造られ、究極的な「罪」の救済という【主】の愛に包まれている存在です。それに、どのように向き合うかで、人生は大きく変わります。それは、個人の自由意志に任されています。
信仰者でも、この世で肉体的生命に生かされている間は、不安や悩みのタネは尽きず、葛藤の連続です。でも、誰にでも迫り来る「死」の問題を、永遠への通過点に変えることができるのなら、人生の一番大きな重荷が下ろせますから、葛藤の内容が変わります。
聖書には、『…下には永遠の腕がある。…(申命記33:27新改訳2017)』とあります。かつて、選びの民イスラエルを支え、奮い立たせた【主】の言葉です。
また、『…わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。…(イザヤ46:4新共同訳)』ともあります。
さらに、『…見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28:20新改訳2017)』と世界の終わりだけではなく、世の終わりまでと記されています。
紛争が絶えない世の中ですが、私は、これらをイメージしながら、『永遠の幸福マインドで「今ココ」を生きる』を実感しています。
立派な建物や地域教会のイメージが強いキリスト教ですが、本質的には、信仰者自身が『神の宮』であり、【主】との繋がり(タテの関係)が基本で一番大切だと理解しています。もちろん、地域教会が健全なコミュニティー(ヨコの関係)としての役割が果たされることを願っています。
今回、この『ヨハネの黙示録スタディノート』、『聖書の流れについて』と『聖書の年代チャート』をまとめようとした動機は、一つは私の情報整理として、また終末がより身近に感じられる世の中を肌で感じ、シンプルな聖書理解を共有したいという動機もありました。次の聖句に背中を押されて、天からの使命を感じつつ、四苦八苦しながらまとめました。
『22:10 また私に言った。「この書の預言のことばを封じてはなりません。時が近いからです。
22:11 不正を行う者には、ますます不正を行わせ、汚れた者は、ますます汚れた者とならせなさい。正しい者には、ますます正しいことを行わせ、聖なる者は、ますます聖なる者とならせなさい。」 ヨハネの黙示録22:10~11新改訳2017』
もっと詳しく学びたいという方は、以下の参考文献・資料などを参照してください。
究極の救いを提供してくださった【主】に、いつも寄り添い支えてくれる妻に、多くの教訓を示してくださる私の周囲の多くの方々に、心から感謝を申し上げます。
一回でも多く「天に喜び」があることを【主】に祈りつつ。
2024年8月 David Blackstone(デビット・ブラックストン)
@「【主】のめぐみプロジェクト」
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません