支配について ニーチェ
『支配には二種類がある。一つは、支配欲につき動かされた支配だ。もう一つは、誰からも支配されたくないために行う支配だ。 ニーチェ 『ニーチェ全集〈7〉曙光』(筑摩書房)』
人間は、基本的に自立を求め、支配から逃れようとします。
でも、この世のシステムの中に存在する限り、支配からは逃れられないようです。
ニーチェは、支配について、冒頭のフレーズで指摘しています。
一つは「支配欲」が背景にあるもの、もう一つは「支配」されないために、という分類をしています。
誰を、どのように支配するかによって、影響が及ぶ範囲が違ってきますね。
ニーチェ本人は、「プロイセン国籍を離脱して無国籍者」という、国の支配から離脱を選択した一人のようです。
国と言わずしても、地域にも、家庭にも、支配があります。それが、一人一人に配慮が行き届いたものであれば、良いリーダーシップとして評価されます。
しかし、多くの場合、「支配欲に突き動かされた支配」のケースが多いように感じます。
全体を見渡せば、どのようなコミュニティーが望ましいのかを探れると思うのですが、それが、難しいタイプのリーダーも多くいるのです。
そうすると、支配を受けたくない人が、支配をし出したり、カオス状態へと一直線になります。
今は、よほどカリスマ性が無いと、独裁者的な支配が成り立ちません。
人間は、本能的に、この人ならば、言うことを聞いても良いと思うようです。
それが、カルト的環境ならば、良くない方向へと行ってしまいます。どうして、カルト支配が成立するのか、実に不思議です。
でも、それは、ボタンの掛け違いで、成立してしまう主従関係なので、用心が必要です。
信頼できると考える人でも、その考え方を、それぞれが吟味しながら、より良い関係を構築して行きたいですね。
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(独: Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844年10月15日 – 1900年8月25日)は、ドイツ・プロイセン王国出身の思想家であり古典文献学者。ニイチェと表記する場合も多い。
概要 現代では実存主義の代表的な思想家の一人として知られる。古典文献学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュル(英語版、ドイツ語版)に才能を見出され、スイスのバーゼル大学古典文献学教授となって以降はプロイセン国籍を離脱して無国籍者であった[1][2]。辞職した後は在野の哲学者として一生を過ごした。随所にアフォリズムを用いた、巧みな散文的表現による試みには、文学的価値も認められる。
(中略)
解釈の多様性
ニーチェは、唯一の真実なるものはなく、解釈があるのみだと考えた[12]。ニーチェにとって、解釈とは、価値、意味を創り出す行為である[12]。そして、解釈は多様である。世界はどのようにも解釈される可能性があり、世界は無数の意味を持つ[12]。 ニーチェがこのように考える背景には、従来的な認識・真理に対する懐疑があった[13]。





ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません