幸せを運ぶ鳥?不幸を運ぶ鳥? 箴言26:2
『26:2 逃げる雀のように、飛び去る燕のように、理由なしに、のろいが来ることはない。 箴言26:2新改訳2017』
「Like a flitting sparrow, like a flying swallow,So a curse without cause shall not alight.(KJV)」 DeepL日本語直訳「さえずる雀の如く、飛び去る燕の如く、ゆえに無実の呪いは宿ることはない。
「Curses cannot hurt you unless you deserve them. They are like birds that fly by and never light.(TEV)」 DeepL日本語直訳「呪いは、あなたが受けるに値しない限り、あなたを傷つけることはできない。それらは、飛んでいくだけで決して止まらない鳥のようなものだ。」
箴言は、奥深さを表現しているのに、文化的背景の理解を必要としているので、理解が及ばないこともあります。
この箴言も、わかるようで、わかりにくい箇所だと思います。
「呪い」について、語られています。
人生の中で、理不尽な経験を幾度となく味わう事があります。
その中で、「どうして私の所に?」という事もありますね。でも、それは、私には選べないことだと考えるようにしました。
それは、創造主である神【主】の側に決定権があると認めないと合理性がないと判断したからです。
冒頭の新改訳2017は、「理由なしに、のろいが来ることはない。」としています。
続いて、英語に翻訳されたKJVでは「無実の呪いは宿ることはない。」となります。
さらに、最近の英語聖書TEVでは「呪いは、あなたが受けるに値しない限り、あなたを傷つけることはできない。」となりました。
直接的に、受け取れば、自分が理不尽に感じても、何かの理由があるから、「呪い」が来るということになります。
KJVの「宿ることはない」という部分も気を惹かれます。そこには、長居しないというニュアンスが感じられます。
TEVの「呪いは、あなたが受けるに値しない限り、あなたを傷つけることはできない。」では、呪いによる害をイメージさせてくれます。
「呪い」に対して、どのように向き合うのかのマインドを問われているようです。
降りかかってくる火の粉を振り払うコトも必要ですが、その火元を確認することも大切です。
そこで、ポイントとなるのが「愛」の確認です。
それは、創造主である神【主】の愛の確認と、そこに、「宿っている自分の魂が安らでいるか」の確認です。
これに根ざして、対応することで、「呪い」が「祝福」に変わるのです。
避けようとしても逆効果のケースが多いので、自分の立ち位置と方向性の確認は重要なのですね。






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