エルサレム会議(後半) 使徒の働き15:13-35
『15:13 二人が話し終えると、ヤコブが応じて言った。「兄弟たち、私の言うことを聞いてください。
15:14 神が初めに、どのように異邦人を顧みて、彼らの中から御名のために民をお召しになったかについては、シメオンが説明しました。
15:15 預言者たちのことばもこれと一致していて、次のように書かれています。
15:16 『その後、わたしは倒れているダビデの仮庵を再び建て直す。その廃墟を建て直し、それを堅く立てる。
15:17 それは、人々のうちの残りの者とわたしの名で呼ばれるすべての異邦人が、主を求めるようになるためだ。
15:18 ──昔から知らされていたこと、それを行う主のことば。』
15:19 ですから、私の判断では、異邦人の間で神に立ち返る者たちを悩ませてはいけません。
15:20 ただ、偶像に供えて汚れたものと、淫らな行いと、絞め殺したものと、血とを避けるように、彼らに書き送るべきです。
15:21 モーセの律法は、昔から町ごとに宣べ伝える者たちがいて、安息日ごとに諸会堂で読まれているからです。」
15:22 そこで、使徒たちと長老たちは、全教会とともに、自分たちの中から人を選んで、パウロとバルナバと一緒にアンティオキアに送ることに決めた。選ばれたのはバルサバと呼ばれるユダとシラスで、兄弟たちの間で指導的な人であった。
15:23 彼らはこの人たちに託して、こう書き送った。「兄弟である使徒たちと長老たちは、アンティオキア、シリア、キリキアにいる異邦人の兄弟たちに、あいさつを送ります。
15:24 私たちは何も指示していないのに、私たちの中のある者たちが出て行って、いろいろなことを言ってあなたがたを混乱させ、あなたがたの心を動揺させたと聞きました。
15:25 そこで私たちは人を選び、私たちの愛するバルナバとパウロと一緒に、あなたがたのところに送ることを、全会一致で決めました。
15:26 私たちの主イエス・キリストの名のために、いのちを献げている、バルナバとパウロと一緒にです。
15:27 こういうわけで、私たちはユダとシラスを遣わします。彼らは口頭で同じことを伝えるでしょう。
15:28 聖霊と私たちは、次の必要なことのほかには、あなたがたに、それ以上のどんな重荷も負わせないことを決めました。
15:29 すなわち、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、淫らな行いを避けることです。これらを避けていれば、それで結構です。祝福を祈ります。」
15:30 さて、一行は送り出されてアンティオキアに下り、教会の会衆を集めて手紙を手渡した。
15:31 人々はそれを読んで、その励ましのことばに喜んだ。
15:32 ユダもシラスも預言者であったので、多くのことばをもって兄弟たちを励まし、力づけた。
15:33 二人は、しばらく滞在した後、兄弟たちの平安のあいさつに送られて、自分たちを遣わした人々のところに帰って行った。
15:34 【本節欠如】
15:35 パウロとバルナバはアンティオキアにとどまって、ほかの多くの人々とともに、主のことばを教え、福音を宣べ伝えた。 使徒の働き15:13-35新改訳2017』
バルナバとパウロの報告の後、ヤコブがシメオン(シモン・ペテロ)の証言への補足とヘブル語聖書から説明をします。
このヤコブは、イエスの異父弟で、「復活のイエスに遭って信者」になりました。18年間エルサレム教会の監督として活動し、宣教地に散った人からは「義人」あるいは「敬虔な人ヤコブ」賭して尊敬されていました。
彼は、実践の人で、ひざまづいて祈る時間が長かったことから、ヒザがラクダのように硬かったと言われています。彼は、その実践をしながら「ヤコブ書」を記しました。今となっては、メシアニックジューへの導きの書となっています。これに使われているギリシャ語は洗練されているという評価があります。彼自身、ガリラヤのナザレ出身で、学もないとされていますが、地形的に考えると下ガリラヤは通路として使われた歴史があり、それによる語学習得があったのではないかとも推測されています。
信仰者には、「信仰によって、主イエスの恵みによって救われる」という認識と「信仰をベースとした実践」の両輪が大切なのですね。
「初めに(14)」という言葉が大切です。それは、バルナバとパウロが最初に異邦人伝道を行ったわけではなく、創造主である神【主】が異邦人を救われたのです。そのために、ペテロが用いられたということです。ですから、第一次伝道旅行の前から、異邦人の救いの問題は解決されていたのです。
かつてはイスラエルの民だけを指していたのですが、創造主である神【主】が主導権を取って、異邦人伝道を行われ、ユダヤ人だけでなく、異邦人の中からも、残れる者を呼び出されたということです。
これが、新約聖書が教える教会の姿(エペソ2:11~22、3:6)であり、ユダヤ人信者と異邦人信者は、キリストにあって対等な関係にあるのです。
エルサレム会議は、聖書的裏付けを必要とし、ヤコブは、旧約聖書の預言を引用し、結論を出したのです。
旧約預言は、異邦人がユダヤ教とは無関係に救われることを預言しています。それは、「預言者たちのことば」と複数形になっていて、アモス書がその代表例として引用されています。12の小預言書のどこにも、異邦人はユダヤ人にならないと救われないとは書かれていないのです。
16~18節は、預言書(アモ9:11~12)からの引用です。この箇所の引用については批判が無いわけではありませんが、アモス書に記されている内容を吟味する方が建設的だと考えています。
『9:11 その日、わたしは倒れているダビデの仮庵を起こす。その破れを繕い、その廃墟を起こし、昔の日のようにこれを建て直す。
9:12 これは、エドムの残りの者とわたしの名で呼ばれるすべての国々を、彼らが所有するためだ。──これを行う【主】のことば。 アモス書9:11-12新改訳2017』
「その日」とは、大患難時代の後の時代を意味しています。「倒れたダビデの幕屋」と翻訳された日本語聖書は、誤訳で、「幕屋」ではなく「仮庵」です。この「ダビデの仮庵」とは、ダビデ王国を意味する比喩的表現です。実際に、「ダビデの仮庵」は、2列王25:7で倒れています。「その破れを繕い、その廃墟を起こし、昔の日のようにこれを建て直す。」とあるのは、ダビデ王国の回復を意味しています。それは、「メシア的王国」の時に実現します。その時には、主を求める異邦人が多く存在すると言う事です。
つまり、ヤコブは、最初にペテロが経験した異邦人の救いは、聖書で預言されていたことで、アモス書は、メシア的王国におけるダビデ王国の回復を預言しています。メシア的王国が地上に成就した時、異邦人の信者が多く存在することになるのです。つまり、アモスは、異邦人は異邦人のままで救われると預言しています。そうであるなら、メシア的王国が成就する前から異邦人が救われてもおかしくはないので、異邦人も救われることは、昔からの神の計画と受け取れるのです。
異邦人もユダヤ人と同様、恵みと信仰によって救われるのだから、ユダヤ人信者は、異邦人信者に割礼を要求してはならない。これは、ペテロの体験であり、聖書の教えでもあるということで、これで教理的な問題は解決したのですが、ユダヤ人信者と異邦人信者の関係をどうするかという現実問題が残る課題です。
4つの禁止令が提示されます。現実的な内容の禁止令で、4つの内、3つまでが食物に関することです。これは、食事の席でのユダヤ人と異邦人の交わりを想定しているのでしょう。また、これらの禁止令は、普遍的な命令ではなく、ユダヤ人信者と交流がある場合に、実行すべき禁止令なのです。この背景にあるのは、在留異国人に対する命令なのです(レビ記17~18章)。
1番目の禁止令は、「偶像に供えて汚れた物」です。ユダヤ人信者のことを配慮し、偶像に供えられた肉は避けるというものです。これは、特定の状況下で実行すべきものと考えられています。
2番目の禁止令は、「不品行」です。唯一、食物に関係のない禁止令です。ここでの不品行とは、レビ18:6〜18にある近親婚のことを意味すると考えられています
3番目の禁止令は、「絞め殺した物」を食する事に関してです。この絞め殺した物とは、血抜きをしていない物(レビ17:13)を意味しています。
4番目の禁止令は、「血」に関してです。血を飲むこともユダヤ人にとっては忌むべきことです(レビ17:10~11)。ユダヤ人に不快感を与えないようにするために、避けるべきとされました。
ヤコブは、相手の立場を尊重するように勧めましたが、本質的な点では妥協しませんでした。それは、教会の中に分裂が起こらないための配慮でした。4つの禁止令は、使徒の働きの中で3回も出て来ます(15:20、15:29、21:25)。
多くの町には、会堂(シナゴーグ)があり、そこでモーセの律法が教えられていました。ユダヤ人たちは、モーセの律法の内容をよく知っていて、教会の中にユダヤ人信者がいる場合は、彼らの感じ方に配慮する必要があるという事です。
信仰には、一瞬にして人間のマインドを変えるチカラがあります。でも、人間が続けてきた習慣を変えるには、相当な意識付けと、方向転換が必要になるモノです。
それぞれのペースに合わせて、より良い方向へと導かれたいと考えています。
エルサレム教会は、エルサレム会議の結論を伝えるための代表団をアンテオケ教会に2人のユダヤ人信者(エルサレム教会の指導者たち)を派遣することになりました。バルサバと呼ばれるユダとシラスは、手紙に書かれた内容が真実であることを証言する証人として重要な役割がありました。それは、当時は、一般的に言葉による証言の方がより信頼されたからです。
エルサレム会議での決議は、教会史の中で最も重要なものです。彼らは、自分たちにとって不利になるかもしれない異邦人伝道を認めました。
書簡は、アンテオケ、シリア、キリキヤ(シリアの西側の地域で、紀元72年までローマは、シリアとキリキヤを1つの州としていた)教会はアンテオケだけでなく、シリアとキリキヤにも存在していたのです。使徒の働きの記者ルカは、シリアとキリキヤでの伝道については何も記録していません。
書簡の内容は、ユダヤ主義者たちの教えを否定していました。彼らは、非公認の教師たちで、「あなたがたを混乱させ、あなたがたの心を動揺させた」と記されました。彼らは、「救われるためには割礼を受ける必要がある」と偽りを述べたのです。
バルナバとパウロに対する敬意を示し、正式な代表団をエルサレム教会から派遣することにしました。バルナバとパウロが使徒であることは、エルサレム教会が認め、いっしょに、代表団を派遣し、エルサレム会議において全会一致で決まったことを伝えるためです。
「私たちの主イエス・キリストの名のために、いのちを献げている、バルナバとパウロと一緒にです。(26)」
リビングバイブルによると「代表のユダとシラスは、主イエス・キリストのために、いのちを危険にさらしてきた人たちです」と記されています。このように、エルサレム教会は、最高の人材を派遣しているので、彼らは、口頭で手紙の内容と同じ趣旨のことを伝えるという信頼性を表現しているのでしょう。
エルサレム会議を全会一致の決定を導いたのは、聖霊です。異邦人の救いに「重荷」は必要ではなく、異邦人が救われるためにユダヤ教に改宗する必要はないということです。
ただし、ユダヤ人信者への配慮として、以下の4つ①偶像に供えた物②血③絞め殺した物④不品行(近親婚)を避けるように記されました。
そして、「祝福を祈ります(新改訳2017)」と結ばれました。
その書簡をアンテオケに届け、教会全体が集まる集会を開催し、手紙を読みました。これは、公の場での朗読を意味します。
その手紙の内容を理解した人たちは、励ましの言葉と異邦人は恵みと信仰のみによって救われるという公の決定を知り喜びました。
また、手紙の朗読に続いて、説教による励ましがありました。ユダとシラスは預言者であり、長い説教によって異邦人信者たちを励まし、力づけたのです。彼らは、しばらく滞在して後、彼らはエルサレムに戻って行きました。
34節は底本から抜けていますが、口語訳では、「しかし、シラスだけは、引きつづきとどまることにした(口語訳)」と置かれています。
パウロとバルナバは、アンテオケにとどまり、伝道を大いに進めました。また、彼ら以外にも、福音を教え、伝える人たちは多くいたのです。
パウロとバルナバは、春が来て伝道旅行に出発する準備をしていたのでしょう。






ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません