大切なモノは、中にある ショーペンハウアー

『人々は、自分の頭脳や心を養うためよりも何千倍も多く、富を得るために心を使っている。しかし、私達の幸福のために役立つものは、疑いもなく人間が外にもっているものよりも、内にもっているものなのだ。 ショーペンハウアー』

「富を得るために心を使っている」とは、ショーペンハウアーの厳しい指摘です。

21世紀の世の中には、不安が渦巻いています。それをなんとか払拭しようと多くの人が、もがいています。

「金の亡者」といわれる人は、少数派かも知れませんが、少なからず、もう少しお金が欲しいと考えているように見える人が目に入ります。

そのために、おおきな熊手を買ってくる人までいるのです。

このフレーズで、本来は、「自分の頭脳や心を養うため」に心を向け、自分にできることに取り組むのが、人間としての本分だと指摘していますね。

自分は何者になりたいと考えているのかわからずに、迷路に迷い込んでいる人もいますね。

私も、その一人に入らないように、たまに点検をしないといけませんね。

人間は生きているのか? 果たして、生かされているのか?

この考え方には、大きな開きがあります。

生きるとは? 生かされるとは? 寿命とは? 使命とは?

様々な問いが思い浮かんできます。

私は、「生かされているのは、生きる意味を感じるため」と考えるようにしています。

また、自分の与えられた使命を感じながら、それを一つでも果たしたいと思います。

そのために、自分に与えられている幸福を満喫したいですし、自分磨きに励みたいのです。

どうやら、幸福のために役立つモノは、はるか遠くにあるのではなく、「内にもっているもの」との示唆にも、うなずかずにはいられません。

「どこかにある何か」よりも、「自分の身の回り」をよく観察したいと思います。

アルトゥール・ショーペンハウアー(独: Arthur Schopenhauer,1788年2月22日 – 1860年9月21日)は、ドイツの哲学者[1]。主著は『意志と表象としての世界』(Die Welt als Wille und Vorstellung 1819年)[1]。
(中略)
思想・影響
カント直系を自任しながら、世界を表象とみなして、その根底にはたらく「盲目的な生存意志」を説いた[1]。この意志のゆえに経験的な事象はすべて非合理でありこの世界は最悪、人間生活においては意志は絶えず他の意志によって阻まれ、生は同時に苦を意味し、この苦を免れるには意志の諦観・絶滅以外にないと説いた[1][28]。この厭世観的思想は、19世紀後半にドイツに流行し、ニーチェを介して非合理主義の源流となった[1]。当時支配的であったヘーゲル哲学に圧倒されてなかなか世間に受け入れられなかったが、彼の思想は後世の哲学者や文学者、とりわけニーチェ、ワーグナー、トーマス=マンたちに大きな影響をあたえている[29]。

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