ムチの意味 体罰では無く 箴言26:3

『26:3 馬にはむち。ろばにはくつわ。愚かな者の背中にはむち。 箴言26:3新改訳2017』

日本の教育の現場が転換期を迎えています。

「体罰禁止」といわれて、久しい感覚です。

でも、現場の変容は、かなりの支障を抱えているようです。

昭和の時代、生活指導の教師は、木刀や竹刀を持って、言わば武装をしながら、役目をしていました。

今では、皆無で、丸腰の対応をしているようです。

学生の傾向は、精神年齢の低下を懸念する声が、あちらこちらから聞こえてきます。

それらも、あわせて、丸腰でも、忍耐強く対応するなら、活路が見えてくるのではないかと期待を感じてもいます。

あくまでも、人格と人格のコミュニケーションですから、対等な立ち位置での共通認識に至るのは至難の業ですね。

高校野球の指導者の問題が、燻りつつ表面化してきています。

この箴言を見ながら、浮かんだのが、このテーマでした。

旧日本軍の歪んだ軍隊式の統制は、多くの犠牲者を生み出し、敗戦に至りました。

地域社会におけるコミュニケーションも威圧的なものを感じる人が多く、それが要因でトラブルが拡大するということも頻発しています。

「ムチ」や「くつわ」という言葉は、今の時代にとっては衝撃的です。21世紀でも、結構、蔓延っています。人間ならではの言語コミュニケーションは不可能なのかと疑いたくなる局面もあります。

人間同士が、やり合うなら、暴力の連鎖です。それほど、空虚な結末はありません。でも、人間の歴史を振り返ると、そのような事の連続です。

それに対して、創造主である神【主】のアプローチがある事を思い出す必要があります。

「愚かな者」の基準は、被造物としての自覚がなく、【主】に気づかないことが挙げられます。

このような場合、「試練や困難」が「ムチ」に相当すると考えられます。

これは、単なる懲らしめや罰ではなく、次の選択肢に対するアプローチと受け取れるかどうかで、その先が変わってくるのではないでしょうか?

人生の中で、挫折体験を味わう時に、自分自身の現状を観察しながら、省みると今までとは違う何かを発見できる可能性があります。

人間は、マスクなどで、簡単に口を塞がれた歴史があります。

でも、自己表現をあきらめることがないように気を付けようと考えています。

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